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最高だなんて言わせない

大学を卒業し、6年経った。
大学時代はお笑いサークルに所属しコントをしながら、大学外では高校の頃の友人たちと音楽をやっていた。爆笑問題が元々好きで、思春期に『爆笑オンエアバトル』があり、ラーメンズバナナマンおぎやはぎの『君の席』を経由して、シティボーイズラジカル・ガジベリビンバ・システムを後追いで高校時代から見ていた。
また当時はネットレーベル全盛の時代で、友達と一緒にネットレーベル的なものをでっち上げて、作った音楽をアップしていた。宅録ギターポップバンドを名乗りながら、僕は作詞で参加していた。「作家的なものに興味があってね。」と言っていた。本当は音楽が作れないだけだった。
 
現在、4×4=16(シシジュウロク)という名前で音楽をやっている。元々高校の友達と2人組でやっていたユニットだったが、その音楽を作っていた僕のライフライン a.k.a. 相方が抜けたため、1人でユニット名を名乗っている。「バカリズム升野英知」みたいな感じと言うとかっこ良過ぎるな。僕は音楽が作れないから。何とか周りの人々に助けを頂きながら2カ月に1回の企画を中心に、盤を作ったり、MVをつくったりしている。
 
そんな僕は高校の頃、軽音楽部に所属しバンドをしていたが、すぐに邦楽ロックに飽きた。個人的な体感だが、メジャーデビューするバンドが皆「NUMBER GIRLが好き」を公言して、「僕と君」についてばかり歌うようになった気がしていたからだ。「アジカンの功罪かな?」って思っていた。クソガキになっていた。
 
クソガキなので、家に帰ってはパソコンを開き、当時SPACESHOWER TVが運営していた『DAX』という動画配信サイトを見ていた。テレビじゃ見られないようなインディーズアーティストのPVやライブ映像が毎日配信されていた。P-VINEカクバリズム、Row Life、関西ゼロ世代、廃校フェスティバル…。アーティスト、イベント、レーベルなどの名前はここで覚えたものが多い。そこで衝撃を受けたのが□□□(クチロロ)だった。
 
『20世紀アブストラクト』というインスト集がリリースした特集でPVが上がっていたが、フォーキーな「メローメロー」、美メロ打ち込みの「朝の光」、長尺下手ラップ(失礼)の「Twilight Race」、不穏な空白アブストラクトの「To MARIKO」の4曲が同じアーティストによるものとは全く思えないところに惹かれていった。ここまで型を決めないミュージシャンは初めてだったので、とてもワクワクした。誰とも同じようなことはしない(そして、過去の自分たちとも同じようなことはしない)様に憧れた。特に「Twilight Race」には痺れた。ラップの上手い/下手と、かっこ良い/かっこ悪いが別次元にあるということを教えてもらった。□□□のラップは上手いとは言えないかもしれないけど、当時の僕には凄くかっこ良かった。僕の曲は長尺のラップが多いのだが、完全に「Twilight Race」からの影響だ。かっこいいラッパーは当時から沢山いたが、それらを聴いてもラップをしてみようと思わなかった。僕は三浦さんや南波さんのラップを聴いて、上手い/下手の尺度ではないところでのラップがしてみたいと思った。そして後にいとうせいこうさんが加入して、シティボーイズと□□□好きが加速していくのである。
 
2009年12月にリリースした『everyday is a symphony』というアルバムがある。せいこうさんが「Good Morning」という曲で【シャケ焼くのもいい ふとぼくのロフト】と歌っている。【シャケ】という言葉をラップで使って良いんだって思った。
「everyday」という曲がある。サンプリングはビートだけじゃなくて、言葉にも使用可能だということを教えてくれた。
「Tokyo」という曲がある。日常なのか、非日常なのか。音楽なのか、演劇なのか。歌なのか、ラップなのか、ポエトリーなのか、台詞なのか。そんな音楽を聴いたのは初めてだった。
 
「こんなの、初めてだ」という初期衝動。観た後、聴いた後、読んだ後にも自分の中に居座り続ける違和感。ずっとこれに突き動かされていた。
中2の時に聴いたZAZEN BOYS。あんな喉から血が出そうな声で歌ったりラップしたりするのを聴いたのは初めてだった。最初は買って後悔したCDを、いつしか歌詞カードが手垢でボロボロになるまで聴き込んでいた。
爆笑問題から始まり、ラーメンズバナナマンおぎやはぎで「お笑いはかっこいい」という価値観が根付いた。高校の頃、その祖先に当たるシティボーイズを見て、供給側が需要側を選ぶような表現が、お笑いという日本で一番メジャーなエンターテイメントにも存在するということを覚知して痺れた。何度も動画を見ては、DVDをレンタルした。
大学1年の時に聴いたASA-CHANG & 巡礼の「影の無いヒト」で音楽を聴いて「怖い」と思う感情があることを知った。
同じ頃、宮沢章夫さんの『牛への道』のまえがきで涙が出るくらいゲラゲラ笑った。本のまえがきであんなに笑ったことなんてなかった。
良し悪しとは全然違う次元の価値観に触れられた青春期を有難くも過ごすことが出来た。
 
Macが1台置いてあって、ドラムは4つ打ち。ギターは小粋なカッティングを聴かせて、たまに小さな鍵盤を弾く。煌びやかな同期の音が流れる中、可愛らしいボーカルの子が「踊ろう~、ベイベー」的なことを歌うバンド。
動画・画像だらけになってしまい、文字の「つぶやき」をあまり見なくなってしまったTwitter。
フレーズやリアクションによる説明過多のツッコミでやっとお客が笑い出すお笑い。
味の濃い大盛り無料の料理。
アイドル、SSW、女芸人への熱狂。
死んだ顔で眺めるTik Tok。
 
良し悪しの判断がしやすいものだらけで。悪いと思われたくないから結果、良いものだらけで。お客のニーズに応え続けるサービス業だらけで。だから、分かりやすいものだらけで。分かりやすいから、需要側の考える必要がなくなって。
 
そりゃ、「最高!」という感想が蔓延るよな。考えない「最高!」は多幸感だ。エモいね。
 
僕が僕自身に対して「最高!」だなんて言わせないために、ここで文章を書いてみようと思う。よくよく考えてみれば、高校や大学時代はそんなことを友達と毎日話していた。「最高!」だなんて言わないために、色んな視点を駆使して。
 
自分や他の人が屁理屈をこねながら記したことが、懐かしく思えたり、違和感を覚えたり、良い/悪い以外のところで判断して下さったら、それは「最高!」だなんて思う。

4×4=16 カンノアキオ