9月最後の日曜日に、あいちトリエンナーレに行った。これまで考えもしなかった事柄について考えるきっかけにもなるとても良いイベントであったと思う。色々な展示があったけれど、特にカンパニー松尾氏の映像作品『A Day in the Aichi』は生活人賛歌で素晴らしかった。
しかし、海外のアーティストを中心に「表現の不自由展」が中止になったことの抗議の表明として、展示やパフォーマンスを取りやめている箇所も多々あった。その空白の一つ一つが起きてしまったことの深刻さを知らしめており、展示中止の表示を観るたびにいちいち「表現の自由」という言葉に渦巻く色々な思惑について思いを馳せざるをえなかった。
ミドリカワ書房は北海道出身のシンガーソングライター緑川伸一によるソロプロジェクト。2005年7月『みんなのうた+α』でメジャーデビュー。「書房」と自身のアーティスト名にあるのは彼が自他共に認める文学青年で、歌詞はすべて私小説のようなストーリー仕立てになっているから。
好きなミュージシャンは浜田省吾で、『I am a mother』という曲(『I am a farther』のパロディ)では、ホンモノの浜田省吾のバックミュージシャンと共演している。
ミドリカワ書房 I am a mother
自身の活動以外ではゆるめるモ!『夢なんて』の作詞作曲で参加したりしている。
ゆるめるモ!『夢なんて』
僕とミドリカワ書房との出会いは、2006年の9月日比谷野外大音楽堂で行われた「蓮沼」というイベントであった。メレンゲ、B-DASH、トライセラトップス、Base Ball Bear等が出るイベントで、音楽好きの学生にとっては一度で多くのミュージシャンと出会える最高のイベントだった。
当時、ライブに行く前に予習をする習慣などなく(当時はYoutubeにもまともにPVがあがってなかったし)ミドリカワ書房の名前は当時読んでいたロッキングオンジャパンでチラチラ目にしたことがあるくらいの状態で臨んだ。
なんだかミュージシャン然としていない、細いおっさんがバンド従えてギター持って歌い出したぞ、と思った。
その曲こそが『顔 2005』である。
ミドリカワ書房『顔 2005』
演奏はハマショーみたいでめちゃくちゃカッコいいのに、歌詞が整形手術を受ける決意をする女子の話。しかも言い回しがいちいち面白い。なんだこの歌詞は!と、衝撃とともに友人と爆笑しながらライブを見た。10代の僕には十分に刺激的な歌詞で、こんなミュージシャンがいるんだ!と感動した。
他にどんな曲をやったのか記憶にないが、一つはっきりしているのが、そのライブの最後に演奏した曲。「歌詞が過激すぎるという理由で、新しいアルバムには歌詞がないインストバージョンしか入っていないので、勝手にライブで歌っています」という旨のMCの後にやった曲が『母さん』であった。
ミドリカワ書房 『母さん』
死刑が決まった人が母に宛てる最後の手紙、という内容で、色々議論を巻き起こしそうな内容だな、と思いつつ、自分もなんだか主人公に共感してしまい、涙が止まらなくなってしまった。どうしてこんないい曲なのに、インスト曲しか入れてもらえないんだろう、と疑問に思った。
そのライブ以来、ミドリカワ書房のアルバムの発売が楽しみだったし、ワンマンライブにも何度か行った。(ちなみに『顔2005』はバンドで何度もコピーした)
ミドリカワ書房には本当に名曲が多い。
万引きGメンと万引き犯のやりとりをカルメン風に仕立てた『OH! Gメン』
豆腐とティーバッグと白髪染めとキャットフードを万引きする主婦の描写のリアリティがなんとも笑える。
離婚した父から娘にあてた言葉を歌にした『それぞれに真実がある』(メジャー1stシングル)
なんだかポストロック然とした曲に娘への愛とエゴが同居する父親のもの悲しい心情を描いてみせたメジャー1stシングル。カップリング曲にはこの曲の続編が収録されており、その後の娘目線で歌われた『続・それぞれに真実がある』との対比もよい。娘はグレて、男をとっかえひっかえ……。こんなオチをつけるなんてなんとも性格が悪い。。。
売れない漫画家と隣の女子大生の淡い恋その話、『リンゴガール』
歌詞も明るく、フォークソング調でミドリカそワ書房でも指折りのグッドメロディ。
(なぜかカップリング曲の『彼は昔の彼ならず』は演歌調で、元SPEEDの今井絵理子がelly名義で参加している。)
キュートな渋谷系な楽曲でバンドマンに恋する女ストーカーを歌う『誰よりもあなたを』
いま思いつく限り並べ立ててみても、なんとも極端なシュチュエーションの多いことか。
「整形手術」「死刑囚」「離婚」「ストーカー」「万引き」
この他にも「いじめ(『ごめんな』)」「ひき逃げ(『ドライブ』)」「認知症(『恍惚の人』)」……
明るい曲で例外はあるものの、人ができれば出会いたくないシュチュエーションばかりだ。
でも、それらは確かにどこかに存在する。誰かに現実として存在するものたちである。人々は隠したり、あってもなかったことにしたがるけれど、ミドリカワ書房の音楽は、その現実を否応なく僕に見せつけてくる。
ある意味、歌詞が過激、と捉えられるのも間違いではないし、正直こんな楽曲たちは、音楽に癒しや激励を求めている多くの人には売れないだろう。
でも僕は数多のグッドミュージックより、ミドリカワ書房の音楽に繰り返し触れてしまう。単純に笑えるだけではなくて、自分はその当事者になることはできないけれど、想像することができるということを思い出させてくれるから。表現が誰かを傷つけることがあることが真であるからといって、その想像の蓋を閉じてしまうのは勿体無いことなのではないか?ミドリカワ書房を聴いて、改めて考えてみてもいいかもしれない。
あるいは『OH! Gメン』を聴いてただ笑うだけでも。
YOU−SUCK