1月26日(日)に下北沢HALFにて、「4×4=¥1,600(ドリンク込) vol.2」を開催します。前回は音楽ライブでしたが、今回は批評ユニット・TVODのコメカさんをお迎えして、「たりない音楽」についてのトークライブを行います!その上で、「たりない音楽とは?」ということを提示するために、このライブの予告編的なトークをSOMEOFTHEM・オノウエとカンノで行いました。その文字起こしになります。
オノウエ:どのぐらい喋るんですか?
カンノ:1時間強ぐらいかな?最初に4×4=16のミニライブ的なものを打ってから、コメカさんと3人で喋る流れにしようと思ってます。そのトークライブの予告編的な文字起こしをしたいなと。今、オノウエとトークの構成を考えていたところです。ここにコメカさんがどんな意見を言ってくださるか楽しみですね。
オノウエ:元々、最初はどういった経緯でこのトークライブやろうと思ったんですか?
カンノ:元々は、コメカさんがリツイートされてたツイートがあったんです。それにコメカさんが続けてツイートされてて。それが下記2つですね。
星野源の音楽に関して、こういってはなんだけど本人が志向する音楽とそれに求められるポテンシャル(主に歌唱力)の差を感じてしまうなあ
— シェンロン (@shen1oong) 2019年10月16日
「表現したいものに演者のポテンシャルが追いついてない、けど必死に演ってる」みたいな音楽、ぼくかなり好きっすね。いや単純に好みの問題として
— コメカ (@comecaML) 2019年10月16日
カンノ:で、この話って僕とオノウエが昔からよく喋ってたんですね(笑)
オノウエ:相当話してたよね(笑)例えば、ロックバンドの「たりなさ」とか。
カンノ:「到らなさ」ね。
オノウエ:あとラッパーの「たりなさ」とかね。
カンノ:「技術論以外でも、音楽って良いところあるよね」っていう。それで繋がるなと思って、俺がまたリプライするところから色々始まってね。
オノウエ:コメカさんもカンノも、この文脈から言うと星野源は好きじゃないですか?
カンノ:はい。
オノウエ:星野源は好きだけど、星野源は歌を歌えていない、すなわち「たりていない」ところに関しては、2人共「そうだよな」と思ってるじゃないですか?その上で「好きだ」と言う感覚が、「今どこまで享受されるのだろう?」っていうのはよく分からないよね。
カンノ:そうだね。
オノウエ:これだけ言うとさ、「アンチなの?」ってなっちゃうじゃん。でも、そういう面白がり方ってあったよねという。
カンノ:1月26日のトークライブは、そういった話をしていきたいなと思ってます。
オノウエ:今回のコメカさんの星野源ツイートのことで言うと、星野源がブラックミュージックをやり始めたのが『YELLOW DANCER』ぐらいですよね。そのソロの前でいうと、SAKEROCKがあって。
カンノ:SAKEROCKの「たりなさ」もあるよね。
オノウエ:クレイジーキャッツ影響のジャズとコミック要素みたいな掛け合せがあって、自分のルーツのフォークに入り、そこからブラックミュージックに向かうんだけど、その「ブラックミュージックに行こうとする自分」と「フォークシンガーとしての自分」の差が、やっぱり今でも埋まらないように聴こえるっていう。
カンノ:この辺りの話は、コメカさんがどう星野源を捉えているのかを照らし合わせるのがライブでのお楽しみって感じですよね。
オノウエ:こっちの解釈とどう差異があるかね。
カンノ:こちら側の「たりない音楽」の定義について、ちょっと触れていきましょうか。
オノウエ:星野源の日本人としての身体性と、ブラックミュージックをやっている所謂黒人の身体性の乖離というのは、もうどうしようもないレベルで今でもあって、これは埋まらないですよね。これとは別に、社会的なレベルもあって。例えば昔でいうと、日本人はロックできない問題、日本語ロック論争がありました。元々日本にはロックもブラックミュージックもないですよね。それが段々とできるようになってきた歴史があります。またそれとは別に技術の話もあって。機材的なレベルの話ね。その昔はギターなんて買えなかったと。
カンノ:金持ちしか買えなかったと。
オノウエ:録音機材もどんどん安価になってね。で、それこそパソコン1台で音楽ができるようになると、プレイヤーの数が増える分、「できる」人と「できない」人の両方が増えていくと。身体、社会、技術の3軸ぐらいあると思うんです、「たりない音楽」を考える上では。
カンノ:特に身体な気はするね。これだけどうしたって超えられないから。
オノウエ:星野源はまさにそうな気がする。でも技術的な面も見えやすいかなって。素人でもできるというのもあるし、パソコンで作れてコンマ何秒の世界も操作できちゃうから、逆に言うと「たりない音楽」が出づらくなっているという。一時期は「たりない音楽」が大量にあった時代もあったはずで。
カンノ:2000年ぐらい?
オノウエ:90年後半から2000年代は多かった気がするね。録り直すって大変だったじゃないですか。僕らもMTR1発録音とかやってたけど(笑)
カンノ:もうそんな録音ないもんね(笑)
オノウエ:ないよ。バンドで「せーの!」で録ることもないかもしれない。
カンノ:バンドよりもソロプロジェクトが目立つのも時代な感じだよね。
オノウエ:ソロアーティスト、ソロトラックメイカーの時代と考えると、別に楽器が弾けなくても、歌が歌えなくても曲は作れる。画面上で。そもそもやり直しという概念もない。
カンノ:バンドも組まないから解散する必要もない(笑)
オノウエ:解散するって色々面倒臭いからね(笑)そういうことを考えると、やり直しもなければ失敗もないっていう。そこで気になるのがトラックメイカーで「たりない音楽」をやっている人がいるのかどうかね。
カンノ:初期とかいたのかな?
オノウエ:イルリメとかってそうだったのかもね。
カンノ:話を戻すと、星野源の歌唱力の「たりてない」で言うと、裏声は気になるよね。くすぐられる。
オノウエ:多分、どうしても歌っちゃうとフォークシンガーになっちゃう星野源ってあると思う。
カンノ:それは声質のせい?
オノウエ:それもそうだし、メロディの癖も。
カンノ:それはどの曲もアコギで弾き語れちゃうみたいな?『ばかのうた』期みたいに「Pop Virus」も歌えちゃうみたいな?
オノウエ:そうそう。あとメロディの抑揚がすごくフォークシンガー的だなと思っていて。
カンノ:あんまり動きがない感じか。ダイナミックさはないよね。
オノウエ:そうそう。振れ幅がないよね。それに抜いたトラックが入っていると、コンフリクトしてる感じにも聴こえるけど、「それがいい!」っていう話。「それが好き!」っていうこと。
カンノ:ほかにもいるかな…?例えばaikoとかってどうなの?
オノウエ:多分、メロディの抑揚のほかにノリ方の問題もあって。aikoはノッていると思うんです。でも星野源は身体はノッてるように見えるけど、歌はノッてないと思うんだよね。
カンノ:それは抑揚のなさに繋がってきそうだね。
オノウエ:STUTSが揺れてるビートを叩いてるけど、歌は真っ直ぐ進んでいく感じ。合ってないように聴こえてしまう、それが本人の歌唱力という風に聴こえてしまうことがあって。最初のアルバム2枚でフォークシンガー期の素晴らしさは分かったじゃないですか?あのままやれば良かったのかもしれないけど、それをやめてやりたかったブラックミュージックをやった結果、歌い方は変わらなかったという。
カンノ:その歪さ、1つだけ治らない、みたいなのって良いですよね。日本語でラップするみたいなこともさ。海外で良いものを日本で取り入れたとしても、日本人的身体の変わらなさってあるじゃないですか。宇多丸さんも「リスペクト」という曲の中で、「パスタにタラコ足したメニューが定番と化したごとく」と歌ってますけど。海外文化を日本的に取り入れた的なことについてね。
オノウエ:思うのが、日本語のヒップホップだったらまだ同志はいたかもしれないけど、星野源の目指している方向は同志がいないから。かつ星野源の身体に制限されたことをしているから、それが難しいよね。でも今、「国民的歌手としてイメージするのは誰ですか?」という質問があったら、間違いなく3本の指に入る活躍をしていて。それは皆が好きだから。それが特徴にもなっているというのは、「たりない音楽」の良さかもね。星野源がブラックミュージックを歌おうとして、久保田利伸みたいなことができちゃったら「たりている音楽」にはなるけど、引っかからないと思うんだよね。
カンノ:右から左に流しちゃうね。
オノウエ:そのまま「いいね〜」で終わっちゃうけど、やっぱり「なんか引っかかる」というのが星野源のトータルの歌唱力ということじゃないかな?さっきの日本語ラップの話だったら、上手くないけど好きな人達っているじゃないですか?それって「上手くねえな!」って思うじゃん(笑)でもそれが「引っかかり」になるよね。
カンノ:いとうせいこうさんだってそうだもんね。やっぱり身体に馴染んでしまった音楽をやっている人ってどうしても「右から左」になってしまうね。やっぱり身体に馴染んでいない音楽をやっている人を、身体と馴染んでしまった音楽をやっている人との比較で確かめてみよう、みたいなこともトークライブではやりたいなと思っております!
「4×4=¥1,600(ドリンク込) vol.2」
1月26日(日)@ 下北沢HALF
開場20:10 開演20:30
前売/当日 ¥1,000(+1D)
トークテーマ:「たりない音楽」
出演:4×4=16、コメカ(TVOD)
予約:各出演者、またはライブハウスまで。