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「たりなさ」への自己投影〜カンノ少年の下手ラップ出会い〜

1月26日に下北沢HALFにて「4×4=¥1,600(ドリンク込) vol.2」を開催しました。そこでは、1月31日に『ポスト・サブカル焼け跡派』を刊行した批評ユニット・TVODからコメカさんをお招きして、SOMEOFTHEMのカンノアキオオノウエソウと「たりない音楽」をテーマにトークライブを行いました。今回は全3回に分けて、そのライブの模様をダイジェスト的にお送りします。その2は、カンノの選んだ「たりない音楽」から、「今の時代、たりないに自己投影している人が少ないのでは?」という話。

 

 

 

カンノ:僕も1曲紹介しましょう。クチロロで「TWILIGHT RACE」です。

 

カンノ:自分の「たりない」体験話なんですが、この曲を高校1年生の頃に聴いたんです。日本語のラップは前々から好きだったんですが、「ラップをしたい」と思ったのがこの曲きっかけなんですよね。もちろん、それまでも様々日本語ラップは聴いていたのですが、クチロロのこの曲は「ラップはしているがヒップホップではない」という認識だったんです。それはヒップホップ的文化が一切周りにない僕からすると救いで(笑)で、テーマ的なことでいうと南波一海さんのラップなんですよね。下手なんですよね(笑)

 

コメカ:シンプルに言ったね(笑)

 

カンノ:これがたまらなく好きで。これを聴いて、「『上手い=かっこいい』ではない」ということが分かったんです。

 

コメカ:あぁ〜。逆に言うとそれまでは「上手くなくちゃいけない」って思ってたのかな。

 

カンノ:それによってやりたいという気は起こらなかったですね。でも「これがアリで、しかもかっこいいと思ってしまった。やってみたいな」という気持ちになって今、4×4=16をやっているという形ですね(笑)

 

コメカ:まぁ、パンクロック的な在り方だよね。そういうモチベーションの持ち方は、やっぱりオールドスクールなものではあると思いますね。あとまあ、「下手」って言ってもいろいろなパターンがあるわけだけど、たとえば発声の筋力がたりていないとかさ(笑)

 

カンノ:もたっているとか(笑)

 

コメカ:さっきの南波さんのラップもまあ、少なくともそういう専門学校的な筋トレをガッツリやった発声ではないわけですよね。その「たりなさ」にカンノさんが反応したときって、具体的にどういう部分にグッときたのか、もう少し詳しく知りたいですね。

 

カンノ:この曲をかっこいいと思ったことの1つには、それまで聴いてきたものを変にパターン化していたところがあって。たとえば2000年代のラップグループの曲って、なんとなくの暗黙の了解で1人16小節とかだったりするじゃないですか?(笑)それを倍ぐらいの小節でやるとか。今考えれば全然余裕で超えられる概念なんだけど、変に「そういうもの」として縛っていたものをパンと超えてきた感じとか。ほかだと、ZAZEN BOYSとか。「バンドでラップするってDragon Ash的なもの以外もアリなの?」みたいな(笑)「丸眼鏡おじさんもOKなの?」みたいな(笑)

 

カンノ:逆に今は「たりてる」ラップが多いじゃないですか。フリースタイルダンジョン』以降かもしれないですけど。たとえばCreepy Nutsが『オールナイトニッポン0』でラジオリスナーたちに「こういうラップがいいんですよ」という啓蒙を行うとか。「ここをこれだけ長い韻でやっていってる、すげぇ!」みたいなことが認識できるようになるというか。

 

コメカ:速弾きみたいな感覚で楽しまれている側面はあるよね。それでキッズたちの心を掴むというか。でもそうなると、「たりない」を求めて音楽聴いてる人っていま実際どこら辺にいるんですかね?

 

カンノ:う〜ん…

 

コメカ:カンノさんを追い詰めていますが(笑)

 

カンノ:まぁ、ラップにおいては技術で聴いている感じにはなっていますよね。「ラップが上手い、だからかっこいい」みたいな。だから、スチャダラパーはANIがいてとても良い」という認識が今の時代難しい感じというか(笑)今、ANI的な人を目指すのって難しいというか。

 

コメカ:「ダメな人」って難しいかもね(笑)

 

カンノ:「空白多いな〜(笑)」とかが良さとして受け入れられることが難しい感じがありますね。

 

オノウエ:たしかに「謎な人」ってあんまりいないかもね。

 

カンノ:フリースタイルは1対1だから、自分自身が強くならなきゃいけないからね。

 

オノウエ:フリースタイルから考えると分かりやすいね。喧嘩の強さを戦わせるからね。

 

カンノ:「謎な人」って勝てないんだよね。

 

コメカ:「たりなさ」になにかを見出す人って、やっぱり中産階級的な人間であるパターンが多いと思うんだよね、身も蓋もないけど。アッパークラスの人間はそもそも「たりてる」わけだし、ロウワークラスの人間は「たりない」ことに「意味」を見出してるような余裕が無いことが多いわけだし。中産階級の鬱屈とか不能感みたいなものを、パンクで下手くそな「たりない」表現に投影するような人がそもそも減っている、っていうのはあるよね。

 

オノウエ:中産階級がなくて自己投影がない話でいうと、King Gnu「Teenager Forever」という曲のMVがメンバーそれぞれが100万円をもらって好きなことをやるんですね。

 

オノウエ:たとえば自分に好きなロックバンドがいたとして。自分が中学1年生の頃と仮定して。バンドもやってみたいなとか。それでいて日常にもモヤモヤしていて。それでKing Gnuを聴いてみようと思ってMV見たら、100万円もらってお母さんに車をプレゼントしたりしてるんですよ(笑)もちろんこれは仮定なのでめちゃくちゃ好きになっている可能性もありますが、お母さんに車をプレゼントしている姿を見て、「こいつは俺じゃねえな」って多分思うんですよね(笑)もちろん、「ロックバンドで売れたら100万円なんて軽く手に入って、なんでもできるぜ」的な見せ方が逆に意図なのかもしれないけど。今の自分の気持ちを素直に投影できる対象はなにかってことですよね。

 

カンノ:このMVのYouTubeのコメント欄を見てたんですが、否定的なものはあまりないですね。「お母さんのために車を買ってあげて偉い!」的なものが多いですね。

 

オノウエ:否定意見は皆、Twitterの鍵アカで言ってますよ(笑)

 

カンノ:地獄!(笑)

 

コメカ:まあ制作者側の意図は別として、とりあえず表向きには、とても素朴にビデオ内容を読み込まれている傾向がある、ということですかね。

 

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