SOMEOFTHEMのメンバーであるカンノアキオ、オノウエソウ、YOU-SUCKで音楽にまつわる井戸端話の文字起こしを毎週水曜日にアップします。
前編では「技術論が苦手」という話をしたサムオブメンバー。後編ではアーティストが皆、高度な技術や苦労話を披露しすぎて「俺でもできるかも」と思わせる音楽がなくなっていることへの嫌悪感と、工夫と勘違いによって成立する音楽の面白さについて語り合いました。前編は下記リンクから。
カンノ:やっぱり「上手すぎる」くらいじゃないと「上手い」という評価を得られないのが窮屈なんだよね。
オノウエ:「上手い」って大きい評価軸じゃん。「上手いことが嫌だ」っていう場合、自分のなかでもう一つ大きな評価軸を作る必要があるよね。それでさっきの話をまとめると、「やりたいことができてないことが良い」っていう(笑)
カンノ:結果的にはそうだよね。到達したい地点と達していない現状の地点との差にエモさを覚えるっていうかさ。
オノウエ:俺はその話はすごく分かるけどね。
YOU:「自分がどれだけ努力したいのか?」ということも大きい気がしていて。ステージに立ってなにか披露するときに、なにかしら練習するじゃん。俺ってART-SCHOOLが好きなんですけど、ART-SCHOOLってヘタウマですらないの。永久に到達できない”なにか”に向かって行くイノセント野郎なんですよ(笑)
YOU:むき出しのイノセントがステージに立ってて、観客はそれを眺めてるっていう。でもインタビューとかを読むと彼らは練習してるんですよ。練習もするし、音楽の研究もちゃんとするし、そのうえであれなんです(笑)つまりある程度の訓練がないと辿り着けないところにはいるの。ボーカル&ギターの木下理樹って練習してるけどギターは下手なんですよ。で、木下理樹ってART-SCHOOLを組んだときに下手くそなバンドの音楽を聴いて「俺でもできるかも」って思ったって言ってたの。で、「俺でもできるかも」ってよくある話じゃん。でも今、それってないよね。いきなり上手いものを見せられる。それで大事なのが、その上手い人が「自分がどうやって上手くなったか」という過程を語るじゃん。新R25的価値観ですよ(笑)
カンノ:「どうスキルアップしていったか」話は多いよね~。
YOU:「こういう手順を踏んだらここまでできるようになるはずです。これができなかったらあなたの努力不足です」と言われてるような気持ちになるの。
オノウエ:完全に仕事の話ですね(笑)
YOU:それはとても窮屈だよね。難しいのは、ある程度はやらなきゃいけないの。そうしないとステージに立てないし、君たちも曲がりなりにもステージに立ってギター弾いたりラップしたりするわけじゃん。それもある程度は練習するわけじゃん。素人以上のスキルや練習は抜きには語れないんだけど、方法論ありきで一定のアウトプットが保証されていることの窮屈さってあるよね。しかもそのロードマップがすべて示されてしまっている。イチローや大谷翔平とかもそうだと思うんだけど、よくビジネス書で引用されるじゃん。「習慣が力をつける」とか(笑)
カンノ:ビジネス書の引用が一番嫌なんだよな!
YOU:大谷翔平の目標達成シートってあるじゃん。それが「超ロジカルですごい!」みたいな。いや、あんなのは大谷翔平だからできることであって、逆なんだよ。
カンノ:すごい分かるな、その話。
YOU:それが可視化されてしまうことによって、「大谷翔平になれないのは大谷翔平ほど努力してないから。これが結論です、以上!」っていう。
カンノ:技術と物語が好きすぎるんだよな。
YOU:つまりロードマップが完全に示されているからクオリティは安定するの。でもそこからはみ出てきたものが生まれにくくなってるし、良いと思われなくなる。
オノウエ:それが仕事だったら全然いいんだけど、音楽や文化にもそれが入ってくるとキツいよね。
カンノ:いや~、どんどんそうなってるよ。
YOU:そういうのって最初の教育だけでよくて、あとは選り好みせずに好きにやってみるフェーズは必要なんだと思うけど。
カンノ:広い意味でのアマチュアリズムみたいなものが淘汰されるのがすごく嫌なんだよね。だから上手いラップを聴いたときに「関係ないな」って毎回思っちゃうんだよね。で、クチロロを初めて聴いたときに「これは俺と関係があるぞ」って思ったんだよね。
YOU:それって「俺でもできそうだ」という感覚に近いかもね。
カンノ:「これならできそう」というよりは「これをやってみたい」かな。スキルというよりはその発想がやってみたい感覚というか。でね、批評家のimdkmさんのやってる『TALK LIKE BEATS』というポッドキャストにクチロロの三浦康嗣さんがゲストの回があって、これがすごく面白かったんだけど。
カンノ:イヤホンズっていう声優グループに三浦さんはラップ曲の提供しているんだけど、そのラップの解釈の話が面白くて。
カンノ:グループのなかの声優さんの1人にラップのリズムや譜割りっていう解釈がなかったんだって。で、その人はラップを台詞として解釈してたんだって。
YOU:すげえな。
カンノ:だからこの人は音楽的な解釈じゃなくて、役者としてラップを解釈してたと。で、それはいとうせいこうさんにも言えるって話をしていて。クチロロにせいこうさんが加入した初期のライブで、「ここ2小節過ぎたらせいこうさんラップしてください」という指示に対して、「バスドラを2発叩いてくれ。そうしたら入れる」って言ったらしいの。
オノウエ:いとうせいこうもそうなのか…(笑)
YOU:めっちゃ面白いな、この話。
カンノ:で、三浦さんは「演劇におけるきっかけと同じだ」って話してて。つまり合図だよね。M-1だと「レッツガンガンガンガンガンガンガンガーン♪」っていう出囃子が鳴ったら「はいどうも~!」と登場して漫才が始まるみたいな。だからせいこうさんには2小節って概念がない。
オノウエ:きっかけや出囃子って解釈も面白いし、いとうせいこうって日本にヒップホップを持ち込んだ最初期の人じゃん。その第1の人に拍の概念がないってところからスタートしてるのは面白いよね。
YOU:べつの話を被せるけど、Charがチョーキングをどうやればいいか分からなくて、そもそもチョーキングという概念がないからどうやればいいか分からなくて、1弦と6弦を入れ替えて鳴らしてみたりしたって話があって。
カンノ:面白いね~。自分にとってどうすればそれが成立するのかという工夫ね。
オノウエ:もうちょっと話を広げると、工夫と勘違いってあると思うの。勘違いの方向で進化したジャンルでジャパノイズというのがあって、日本にフリージャズがないころに海外のフリージャズのものをCDやレコードで聴くじゃん。そこでワサワサとノイズっぽいものが鳴っているんだけど、レコードやCDってオーディオで自分でボリュームを変えられるじゃん。これらを日本に持ってきた最初の人が、デカいボリュームでそれを聴いたからジャパノイズの音がデカくなったんだって。
カンノ:その要素だけ残ったんだ(笑)
オノウエ:「この音楽はデカい音で鳴らされているはずだ」と思ってデカい音で鳴らした結果、ジャパノイズというものができあがったっていう。
YOU:なるほど、もともとフリージャズを聴いたからジャズの文脈から出てくるのか。
オノウエ:フリージャズと音がデカいが結びついていて、その揺り戻しで音響派と呼ばれる人たちは音が小さくなったんだと思う。
カンノ:今ってそういう勘違いが正しいと間違いの価値観で分けられちゃうじゃん。そんな二分法で区別しないでほしいというかさ。
YOU:もう価値観は価値観として「これがスタンダードだ」みたいなことを言い続ける人って絶対にいるわけだから、ほっといたらいいんだよ(笑)
カンノ:たとえば「ラッパーは1バースが16小節なんだ」みたいなことも極論なくていいし、もっというと「Aメロ→Bメロ→サビ」みたいな流れもなくていいし。
オノウエ:カンノがクチロロが好きなのはそれを実践してるからだよね。
カンノ:そういうことに対してちゃんと疑問をもって実践してるからね。
オノウエ:「GOLDEN KING」はHメロくらいまであるからね(笑)
カンノ:その次にシングルで出た「GOLDEN WEEK」は本来サビにあるような歌メロが前座としてあって、サビ部分がラップという反転した構造になってるとかね。
オノウエ:カンノがクチロロが好きな理由がよく分かった気がする(笑)
カンノ:まぁ、僕が一番好きなのは元メンバーの南波さんのラップなんですが(笑)
YOU:でもさっきの声優の話もすごいよね。あれは文化人類学的にいうと、リズムのない部族っているじゃん。音楽という概念がないと手拍子も叩けないんだよ。
カンノ:だからたとえば、そういう部族の人がラップに挑戦してみたときに起こるチグハグさとかが面白いんだよ。そういう人がやるラップはラッパーには絶対できないじゃん。
オノウエ:これってある程度のラインは必要で、最低限の訓練は必要だと思う。そのうえで、訓練してまだ練習が足りてないからできていないのか、そもそも自分の身体的にできないことをやろうとしているのかの差はあると思う。カラオケが下手な人って超下手じゃん。たまに「なんでこんなに下手なんだ…?」って思うくらい下手な人っているけど(笑)そういう人が訓練して歌えるようになっても、上手いではないなにか別のものになると思うんだよ。根本的にリズム感のない人がラップを練習しても、上手いラッパーじゃなくてなにか別のラッパーになると思う。そういうほうが面白いよね。