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サムオブ井戸端話 #062「人前で歌う"恥"の感覚」(後編)

SOMEOFTHEMのメンバーであるカンノアキオ、オノウエソウ、YOU-SUCKで音楽にまつわる井戸端話の文字起こしを毎週アップします。

 

「人前で歌うことの恥」について語るサムオブメンバー。後編では「恥ずかしい」と思う感覚がなくなっているのと同時に、「恥じている場合じゃない」というマインドが美学過ぎるのではないかという話をしました。前編は下記リンクから。

 

 

オノウエ:文化祭で俺たち軽音楽部で一緒にバンドやったりして楽しかったけど、やっぱり恥ずかしかったよね(笑)

カンノ:そんなの僕は今でもライブの直前は「これから人前で歌うのかよ…」と思って死にたくなってるよ(笑)

YOU:『サブカル・スーパースター鬱伝』のユースケ・サンタマリアの章でそんな感じの語り方してたよね(笑)「収録のときは本当に体調悪くなって…」みたいな。

オノウエ:鬱伝でいうと、それがサブカル的マインドだっていう話だね。

カンノ:そういう言い方をするならば、サブカル的マインドの人ってミュージシャンからいなくなってる気がするね。

YOU:日本の芸能ってテレビと切り離せないじゃん。だから人前に立ったときの振る舞い方がテレビに出ている芸能人的になってしまうというか。でも中村佳穂ってそういう世界とは別のものな気がするね。Mステや紅白に出ていても。

カンノ:芸能界とは全く関係ない、純粋培養な音楽側の人だもんね。

YOU:そうそう。

カンノ:さっき言ってたサブカル的マインドこそが「恥ずかしい」っていうことだと思うんだけど、それを抱えて音楽をやっている人がやっぱ減っている気がするんだよね。そこが気になっている。「恥ずかしい」って言ったり、思ったりすることがあんまり認められてないような気がするんだよね。

オノウエ:俺が観測している範囲内でいうと、サブカルがなくなってアングラが残って、アングラのシーンには「恥ずかしい」という文化はある。

カンノ:あぁ~。

オノウエ:地下アイドルのシーンとかね。

カンノ:でもアイドルって「恥ずかしい」とか言ってられないんじゃないの?

オノウエ:メジャーフィールドのアイドルは当然言ってられないんだけど、地下アイドルやそういうカルチャーのシーンは全然「恥ずかしい」っていう感覚はある。だって自分で自分のことを「地下アイドル」って言うんだよ。「なんだよそれ?」って感じじゃん(笑)

カンノ:まぁ、地下アイドルはそれはそれでブランド化した気もするけどね。

オノウエ:でも自分で「地下です」って言うわけだから。

カンノ:遜りだね。

オノウエ:あとクラブシーンってさ、これは良い意味でも悪い意味でもないんだけど、自分たちがアングラで恥ずかしいことをやっている気持ちではない気がするかな。クラブシーンに人が増えて、全体のパイは広がったんだけど、さっきから喋ってる芸能的な恥の感覚を持つ人が相対的に減っていって見えなくなったみたいな。

カンノ:クラブシーンとかで「音楽楽しい」「音楽最高」「音楽で踊る」みたいなことに対する照れの感覚ってやっぱないのかな?そもそも照れがあったらクラブは行かないのか?

オノウエ:いや反面、初期Twitterとか2ちゃんねる的なネットカルチャーみたいなものと、僕らが見ていた範囲のクラブカルチャーの人たちがつながっていた時代ってあったじゃん。

YOU:そうだね。

オノウエ:その人たちは無意識的な照れと芸人の感覚はあったと思うな。

カンノ:芸人感覚のミュージシャンは減ってると思うな。前編で話したサザン的な感覚の人は。昔は音楽やお笑いや芝居とかが一緒くたの時代だし。

YOU:星野源だけじゃない?「ポップスターになりたい」と言って本当にそうなってる人って。

カンノ:星野源はサブスクを解禁して世界進出に目を向けてから、恥じてる場合じゃないスタンスになった気がするね。

YOU:たしかに、恥とは別の次元に行ったね。

カンノ:SAKEROCKのときはめちゃくちゃ恥と芸人性だったと思うの。っていうか、その芸人性を全てハマケンにぶん投げてた(笑)操っていた側だから。

YOU:怖いな~(笑)

カンノ:っていうことは恥とか照れとかを持っていた人なんだよ。一歩引いた目線でやってたんだから。

YOU:「恥じてる場合じゃない」「照れてる場合じゃない」っていう考え方は面白いね。

カンノ:でも最近は「照れてる場合じゃない」が美学過ぎるなって思う。ちょっと良しとされ過ぎてる。やっぱ嫌なんだよね。照れててほしい。これから人前で歌うのに「なんでこれから人前で歌わなきゃいけないんだ?」っていう疑問をずっと持っているミュージシャンがいてほしい。だって人前で歌を歌うんだよ?ヤバくない?(笑)

オノウエ・YOU:アハハハハッ!

カンノ:この感覚が薄れているのであれば、ちょっと気持ち悪いかな。

YOU:それを中村佳穂のパフォーマンスを見ながら思っていたんだな(笑)でもたしかに、あれは見ていてこちらがなにかを試されていたね。

カンノ:あれを見ていて言っちゃいけないことばかりが頭に浮かぶんだもん(笑)

YOU:「あれは何なの?」は言えなくなっちゃったね。

カンノ:褒めることばかりが良しとされて「半笑いはしてはいけません」という世の中になったうえで、なにか半笑いしたくなるような現象が起きたときに人は試されるっていうことは、ここ最近多くなったなと思うね。

YOU:哲学者の千葉雅也さんの本や記事をよく読んでいるので話を引用するけど、千葉さんは同性愛者なんだけど、ダイバーシティとかLGBTQという言葉が飛び交っている現代について、「かつて同性愛を小馬鹿にしていたはずの人たちが、リベラル”ぶって”いれば”間違いない”と判断したかのように、手のひら返しをした、という苦い気持ちがある。」と言っていて。ようするに、今は学校にも普通に同性愛者の人がいて、男の人が男の人を好きになったり、女の人が女の人を好きになったり、その両方の場合もあったり、そういうことを学校で普通に教えてるわけだけど、(それはそれでもちろん大事なんだけど)かと言ってあらかじめ認められたものとして「同性愛者の権利を保証しなければなりません」と教条的に言っている様子に対して異を唱えているのよ。

カンノ:「社会的なルールとしてそう言ってるのね」って感じが見え透いちゃうんだ。

YOU:かつてはいまよりもずっと蔑まれていたのは確かだけど、”そういう者”同士の結束感とか、グレーな領域とかに身を置いて生きている様子が良かったって言ってるんではないかと思う。千葉さんの小説『デッドライン』では、舞台となっている2000年代くらいの東京の雰囲気、とりわけ同性愛者のハッテン場とか新宿二丁目の飲み屋の雰囲気がある種の憧憬と共に描かれている。

オノウエ:社会のルールとして言わなくちゃいけなくなったのもあるし、それ以上にそこで親切にする人って本気の親切心で言うんだけど、そういうおせっかいとかもそもそもされること自体が嫌っていう話だよね。

YOU:だから「試されている」という話はすごくわかるね。

カンノ:今後もこのサムオブは試されるでしょうな!いつ終わるかわからねえから(笑)

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