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サムオブ井戸端話 #064「前提なき時代におけるコミュニケーションの加害性」(後編)

SOMEOFTHEMのメンバーであるカンノアキオ、オノウエソウ、YOU-SUCKで音楽にまつわる井戸端話の文字起こしを毎週アップします。

 

くるり岸田繁の書いたブログから老害性について考えるサムオブメンバー。後編ではYOU-SUCKメンバーの子育ての話から、コミュニケーションにおける加害性について考えました。前編は下記リンクから。

 

 

YOU:あと俺は子どもができたのは大きいかな。育児本とか一応読むんだけど、たとえばとあるNPO法人が出してる育児本があるんだけど、これは胡散臭いの。どういうことかというと、「育児ができるパパになれることによって、仕事の段取り力がつく!」とか書いてるの(笑)

カンノ:怪しいね(笑)

YOU:基本的には良いことが書いてあるんだけど、思考しているベースが違うなって感じたの。普通に知識的な部分は役に立つんだけど、心根が違う感じ。メンタリティが違うなって思ったの。

カンノ:なんか、一石二鳥が100%正しい風潮があるじゃん。そういうことじゃないと思うんだよな。

YOU:わかる。それって「子育てを用いてコスパのいい人生を送りましょう」っていう感じで、親になるって感じじゃないんだよね。それに対して、鳥羽和久っていう塾の経営者の人が書いた本が本当に良くて、よく読むんだけど。

YOU:育児本って「こうするのがいいです」「こうすれば良い子に育ちます」みたいなことを平気で言うんだよ。でもこの人はそういうことを全然言わないの。「こういう毒親だからそういう子になる」ってことも言わないし、「親ガチャで失敗したから」みたいなことも絶対に言わないの。「方法論に頼らないライブ感こそが本当の子育ての喜び」っていうことを言うの。これってすごく曖昧なことでさ。過剰に子どもを傷つけないやり方ってあるじゃん。あと話している相手を傷付けないとか。そういうことが横行するなかで、この人は「子どもとのコミュニケーションにとって大事なのはハウツー的な方法論に頼らずに心を寄せること」って言ってるの。ハウツー的に対応しても、子どもは子どもで全然別のところで新しいものを得て親とは違う生き物になるし、逆に傷つけることを恐れて過剰に子どもに言わなさすぎることで起こる弊害もあるし。あと逆に子どもにガミガミ言いたくなるときは「親がそのときに生じているネガティブな感情を解消したいという欲求で突き動かされていることが多い」って言うのよ。そのことを自覚して「一呼吸置きなさい、そうすれば親子の関係性は代わってくる」っていう主旨のことが書いてあって。でさ、加害性ってあるじゃん。「老害」っていう言葉が出てくるということは、それによって加害されてる人がいるってことじゃん。でも、それを恐れていたらコミュニケーションなんて始まらないよね。

オノウエ:これ、すごく東浩紀的な話だね。

YOU:そうそう。東浩紀は「どうしてそんなに父になることに恐れるの?みんななんとなく父になってくじゃん」って言うんだけど。

オノウエ:『おおかみこどもの雨と雪』ってアニメーション映画があったじゃん。

オノウエ:あの映画自体はいろいろ言われていたけど、ラストは弟が狼になる道を選んで森に行くんだよ。で、姉は人間に戻る道を選んで母親と一緒に暮らすのね。で、子どもって狼になったりするよね。それは親ですら抗えないっていうか。親子ってそういうものだよなって、あの映画を観たときに思ったんだよな。

YOU:オノウエが言った話は子どもサイドの話だよね。で、親は親で子どもに働きかけなきゃいけないから。そこに変に予防線を張ってつまらないハウツーに身を寄せるよりも、子どもをとおして自分を振り返って生きていこうと鳥羽さんはシンプルなことを言ってるんだよ。コミュニケーションをするっていうのは結局加害だから。なにか言ったことで相手は傷付くかもしれないから、そこを恐れてもしょうがないよね。たとえばこのくるりのブログを若いころに見たら「なにがクラシックだ、この野郎。金あるやつにしかできないじゃないか」とか思ってたかもしれないけど、「これは良い加害だな」って思ったんだよね。

オノウエ:「これは良い加害」(笑)

カンノ:加害に「良い」「悪い」があるのは面白いね。

YOU:いや、害は害なんだけどね(笑)

オノウエ:「コミュニケーションが加害だ」っていう話になったときに、俺とカンノが「そうだよね」って思ったわけじゃん。それくらい「コミュニケーションが加害」っていうことが当たり前だと思ってるわけじゃない。それっていつからなのかな?

カンノ:ハラスメントがどんどん言われ出した辺りと比例はするだろうね。2010年代半ばくらいなのかな?

YOU:そのくらいな気がするね。鳥羽さんもそうだし、東浩紀とか千葉雅也とかもそうだけど、ネトウヨにも中途半端にリベラルっぽいひとにも嫌われてる人が言ってることってわりとシンプルで(笑)「コミュニケーションは相手に被害を与えてしまうものだから、その加害性をあらかじめ除去してルールベースで人間の営みをするって無理でしょ」って言ってるの。そんな簡単なものじゃない。

オノウエ:「ルールベースで整備しようぜ」って言ってるのがリベラルだよね。

YOU:「ルールとしてこう書いてあるから、これはやっちゃダメ」って言うことで逆にコミュニケーションをないこととしようという風潮に抵抗している立場の人たちが俺は好きなんだよね。

カンノ:昔はコミュニケーションって「自分が傷付きたくない」と思ってコミュニケーションを取らない態度を取っていたのに、今は「傷付けちゃうかもしれない」と思ってコミュニケーションを取らなくなっているのは不思議だよね。

YOU:それは面白いね。そうかもしれない。

カンノ:昔の「人と喋りたくないな」って自分を守る意味合いのほうが強かったけど、それがいつの間にか「自分は傷付ける側だ」っていう自覚が芽生えててさ。だからもうとっくに老害みたいなものは始まってるのかもしれない。

オノウエ:そうなんだよ、もう俺らは老害サイドなんだよ。

カンノ:今日の話ってオノウエからくるりのnoteについての話で、「当たり前のことを言ってるんだけど」ということが前提のつもりだったと思うんだけど、この「当たり前のことを言っている」ということがもう前提にもならないっていうかさ。それを言うことで加害コミュニケーションになる可能性があるから。これは”良い加害”だと思うんだけど(笑)この感覚が面白いなと思ってね。

オノウエ:そうそう。そういう”前提がない”という前提があったうえで、年下とコミュニケーションを行わなければならないっていうことを思いましたね。

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