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サムオブ井戸端話 #069「もう音楽の機微がわからなくなった」(後編)

SOMEOFTHEMのメンバーであるカンノアキオ、オノウエソウ、YOU-SUCKで音楽にまつわる井戸端話の文字起こしを毎週アップします。

 

昔はわかっていた音楽の細かい機微がもうわからなくなったことについて語るサムオブメンバー。後編では以前語った老害の話から、1つをテーマに時代を語ろうとするとどうしても漏れてしまうことがあること、「プリンス・マイケル」「クレイジーキャッツドリフターズ」の細かい機微ついて語りました。前編・中編は下記リンクから。

 

 

YOU:中編で出た「パッケージ」ってワードは結構大事だと思うな。そのときに生きていた人じゃないと感じられない機微ってあるんだよ。後追いで聴いても感じられないなにかってあるもんね。

カンノ:前編で話したけど、04 limited sazabysにも確実に機微はあるはずなんだよ。「これは明るい」とか「これは暗い」とか。でももう本当にわからなくなっちゃった。

YOU:この前「老害になろう」っていう話をしたじゃん。

YOU:この前は「老害の良さ」みたいな話だったけど、それの逆。老害であることの悪さって今起きている事象に対して経験則で語るところだよね。

カンノ:「はいはい、この現象ね。俺にもあったな~。つまりこういうことでしょ?」みたいな。

YOU:たとえばマキシマムザホルモンについて本人は別に好きと思っていなくても「これはラウドミュージックの入口になってるので価値がある」みたいな評価の言い方があるじゃん。本人にその意図はないかもしれないけど、それはホルモンのことが好きなキッズたちをちょっとナメてる気がするね。

カンノ:キッズにとっては違うんだよね。ホルモンじゃなきゃいけない”なにか”があるんだよね。でももう僕たちはそういう”なにか”がわからなくなってしまった。

YOU:キッズじゃなくなったんだよね。大人になった。

オノウエ:文字通り”キッズ”じゃなくなったんだよね(笑)

カンノ:僕はKICK THE CAN CREWRIP SLYMEじゃなきゃダメなんだよ。nobody knows+HOME MADE 家族じゃ足りないんだよ。でも他の人から見たら一緒くたなんだよね。

YOU:たとえば「この世代に流行っていたのはこれ」と分析しようとするときにまずヒットチャートとかを見たりするけど、その渦中を生きた当事者からすると「全然違うからね」っていうことってあるよね。

オノウエ:「違うよね」話でいうとさ、社会学者が音楽をとおした社会分析をするときに歌詞が分析対象になることって多いじゃん。で、俺らのときだと浜崎あゆみの歌詞分析って結構多かったと思うの。

オノウエ:でも俺からすると「いや、知らねえよ」っていう(笑)

カンノ:アハハハハッ!

YOU:「ギャルとヤンキーが聴いてる音楽の歌詞分析されても、俺は知らねえよ」っていう(笑)

オノウエ:で、「これが2000年代のムーブです」っていう結論を出されちゃうと「いや、いや、いや」っていうさ(笑)「俺みたいなやつはどうすればいいの?」っていう。

カンノ:それは「俺を置いて語るなよ」みたいな感じ?

オノウエ:というより、その時代をそういうふうに語るのはいいと思うの。2000年代の時代の寵児浜崎あゆみだったことは多分間違ってないから。あと、そういうふうに抽象化しないと時代を語ることができないのもわかる。だけど2000年ごろを青春時代として生きた俺らからすると「こんなこともあった」「あんなこともあった」があるじゃん。だからパッケージ化の話になると、どうしたって漏れ出ちゃうものってあるよね。俺らが80年代のサウンドを理解しようとしたときに「80年代ってこうだよね」ってやっぱり言っちゃうし。

カンノ:人間ってやっぱり一言でまとめたがっちゃうのかな?

YOU:それでしかないんだよ。俺がむかし母親に「プリンスが好き」って話をしたら、母親が「私はマイケルが好き」って話をしたの。で、「プリンスは気持ち悪い」っていう認識なんだって。そういう機微があるの。

カンノ:すごく雑なことを言うと、僕らからするとマイケルもプリンスも同じパッケージになっちゃうもんね。

YOU:そうそう。

オノウエ:そういうふうに理解するしかないよね。

YOU:まずそこから入るよね。で、具体的に見ていくとどうやらマイケルとプリンスは好きな人は分かれているパターンが多いらしいことがわかってくる。マイケルが好きな人はプリンスが好きじゃなくて、その逆も然り。もちろん両方とも好きな人もいるけど、それはR&Bに愛があったり、洋楽全般が好きな人だったり。そういう機微は後々にわかる。

カンノ:ちょっと違う話をするけど、クレイジーキャッツドリフターズは当然、僕らは世代じゃないじゃん。でもこの2組が違うのはわかるんだよね。

オノウエ:それは認知の順番だと思う。前編で「熱中する期間は決まってる」って言ったけど、そのときは自分がそれに真っただ中だから、すごく解像度が高く細かいことまで理解できるんだよ。で、ドリフターズとかクレイジーキャッツを理解するまでに、「そういうものが昔はあった」っていう理解の仕方をしているんだよ。で、その歴史に興味を持ったうえでそこにダイブできるんだよ。

YOU:そうだね。認知の段階とか順番の話だね。

カンノ:僕はドリフはお笑いで捉えて、クレイジーは文化で捉えているんですよね。

YOU:クレイジーのほうが歴史の印象だったよね。

カンノ:ドリフもクレイジーもお笑いと音楽が一緒くたでやられていたと思うんだけど、そのなかでもドリフのほうが作り込まれている印象なんだよね。

YOU:それは機微を捉えすぎてるよ。この前、ドリフの映画の最初のやつを見たの。『なにはなくとも全員集合!!』っていう。それの脚本を書いてたのってクレイジーの映画の脚本を書いていた人なんだよね。だから地続きなんだよ。

カンノ:両者とももともとワタナベプロだもんね。僕個人の機微として、ドリフはお笑い色が強くていなたさがあるんだよ。で、クレイジーは洒落っ気が強いから文化色の人たちって捉えてるんだよね。あとドリフは作り込まれすぎてるから、古くなっちゃう。だからこそクラシック感も強い。

YOU:オシャレさはたしかにクレイジーかもね。

カンノ:そこの機微はなんかわかるんだよ。でもパッケージで考えたら一緒だよね。

YOU:そうだね。

オノウエ:その機微をカンノがわかるのは、「もっと知りたい」って思ってアクセスしたからだよね。

カンノ:多分、”お笑い”が好きなんじゃなくて”お笑い史”が好きなんだよね。

オノウエ:ということでフォーリミからドリフまで話しましたね(笑)

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