SOMEOFTHEM

野良メディア / ブログ / 音楽を中心に

サムオブ井戸端話 #092「映画『犬王』から考える古川日出男の「物語と信仰」のイズム」(後編)

SOMEOFTHEMのメンバーであるカンノアキオ、YOU-SUCKで音楽にまつわる井戸端話の文字起こしを毎週アップします。

 

映画『犬王』から原作者である古川日出男のフィクションによる強迫観念について語るサムオブメンバー。後編では、フィクションの反対としての"チンケなリアル"を信じてしまうことを昨今のお笑い芸人の炎上から考え、創造物をメタ的に考えられなくなった国民性ついて語りました。前編は下記リンクから。

 

 

YOU:そもそも古川日出男は『平家物語』を現代語訳している。歴史書でなくて、多くの人が平家を題材に書き足していくフィクションとしての力を評価してそれを強調したような文体になっているんだよね。俺が古川日出男を好きな理由は、古川日出男という人がフィクションにちゃんと向き合い続けているからだと思う。で、フィクションの反対ってリアルじゃん。今の時代ってすごくリアルが強いじゃん。テレビのリアリティーショーもそうだし。

カンノ:あとは嘘みたいな事件も日本や世界でたくさん増えちゃったもんね。

YOU:そうそう。なんか、チンケな物語を信じてる人が多いのかなって思うの。「ある権力者を倒せば世の中良くなる」とか「トップの人の言うことを聞いて強盗すれば大金が得られる」とか、チンケなリアルがなんか流通しちゃってると思うの。「お金さえあれば」とか「宗教さえあれば」とかさ。お金や宗教が悪いとは思わないけど、考え方の硬直が発生していると思うの。

カンノ:はい。

YOU:で、古川日出男はフィクションが人々に与える影響を書くことで、フィクションの力をちゃんと維持しようとしているというか、復興しようとしている企みに思えて。だから『犬王』は音楽も良いんだけど、それ以上に骨となるストーリーが面白いんじゃないかなって。フィクションに力があると知った時の権力者は数多の『平家物語』を潰して「これが正統の『平家物語』です」と言おうとしたという筋書き。で、実際に『平家物語』は未だに現代に残り続けてるし、犬王という存在もなんとか残って古川日出男が語り直したから生きてるじゃん。だからフィクションってそれだけの力があるんだよね。フィクションのことを考えるとか、そこから影響を受けている自分について考えることって、自分が信じていることに対して良いのか悪いのかを考えられる審美眼がついてくることだと思うの。「こいつはビジネスっぽいことばかり言って胡散臭いな」とかは審美眼じゃん。それはちゃんとフィクションを摂取しないとチンケなリアルにやられるぞということだと思うんだよね。で、『犬王』は音楽で楽しんでる間にそういう考え方がストンと入ってくるようなかたちになっていて、古川日出男入門編としては最適だなって思ったんだよね。

カンノ:ちょっと話は変わるんだけど、今の日本の宗教はお笑いなんだろうなと思っていて。ちょっと前に『スッキリ』でオードリー・春日がペンギンの池に落ちて炎上したニュースとかさ。

カンノ:あと『ラヴィット!』の相席スタート・山添の炎上もそうだけど。

カンノ:ああいうのって、本来ニュースを紹介する情報番組の枠にお笑い芸人が進出しまくるとか、もう『ラヴィット!』に関してはニュースや情報ではなく、お笑い番組として放送して、それでTwitterのトレンド入りとかで超人気番組になっていったわけだけど。「朝からこんなことやってるよ」「こんなこと言ってるよ」みたいなことが過熱して、それで春日や山添がやり過ぎちゃって手のひらを反すかのように炎上になったわけじゃん。制作者側、消費者側、それらを伝えるマスコミとかネットニュース、すべてが「お笑いが好き」ということを信じていた結果、なにか糸がプツンと切れたことで急に冷静に「あれは良くないよ」って言う感じは何なんだろう。やっぱり過熱とかムーブメントが起こるって怖いことだなって思っちゃうのよ。

YOU:はいはい。

カンノ:制作者側はお笑いみたいな脳がダイレクトに喜ぶものを朝から摂取させたかったし、消費者側は朝から摂取したかったんでしょ。なんかそれって、色見が全体的に茶色いお弁当をガツンと食べたかったり、9%のアルコールを摂取したかったり、駅前が牛丼屋だらけになったり、そういう世界線と同じだと思うんだよね。「朝からお笑い芸人をたくさん見る」って。

YOU:お笑いに限らず脳をダイレクトに刺激するようなコンテンツってたくさんあるよね。

カンノ:行間がないものだらけになってると思うんだよ。帯番組がお笑い芸人だらけって。で、「毎日朝からテレビに芸人を出していたらあんなことも起こるよな~」ってことが起きた途端に炎上するっていうことと、チンケなリアルを信じていることが僕には妙につながる部分があって。お笑いをはじめとした芸能物くらいしか信じられるものがない人が多い世の中になっているけど、お笑いなんて信じるものじゃないし。もっとはっきり言うと、芸人という本来ロクでもない人間扱いだった人たちが朝の情報番組の時間帯にテレビに出まくってたらああなるに決まってるじゃん。「クズ芸人」という括りがあるけど、違うから。基本は「芸人」にクズが内包されてるんだから。「クズ芸人」って意味が二重なんだよ。

YOU:クズだからこそ、芸人が世間が思うこととは違うことを面白さとして提示できていたわけだもんね。

カンノ:やっぱり楽しければよい的なファン心理で世の中のコンテンツが成り立ってしまうことを僕は怪しんでるというか、その点はなにも信じてないんだよね。

YOU:『犬王』の劇中の客は犬王と友魚のパフォーマンスにすごく盛り上がるんだよ。それこそ脳にダイレクトに響く感じ。でも最終的には時の権力者にすべて潰される筋書きになっている。だから、その瞬間で楽しかったりエモくなって終わりではないの。人間の寿命とか権力の思惑とかを超えた物語の強さを描いてる部分がすごく良くてね。

カンノ:ちなみに古川日出男ってなにかの活動家だったりする?

YOU:なにかの活動家ってほどではないけど、彼は福島出身だから、被災地域を歩いて当事者にインタビューした、ノンフィクションという体で作られた『ゼロエフ』という本はあるね。

カンノ:その辺りが絶妙なラインで好きなんだよね。最終的にはなにかを信じ込んでいないような気がしていて。「現状の流れと反対のことはなにか?」っていうことは表現において重要だと思うの。たとえば僕なら、今のお笑い一強みたいな時代のなかで、お笑い的ななにかを極力摂取したくないのよ。大きい流れに乗ることのつまらなさを思うから。

YOU:フフッ。

カンノ:で、古川日出男のことを考えると、あの人の朗読ギグの熱っぽさを考えるとベタ側の人のように思えるけど、じつはめちゃくちゃメタ側だと思うのね。

YOU:そうだね。あの人は確実にメタだね。

カンノ:小説という形をとっていながら、あんなに自我がめちゃくちゃ出ているのは、とてもメタだなと思うんだよね。

YOU:正直、小説ではメタになるという表現はべつに少なくはないんだけど、古川日出男の小説ではとくにその傾向は強いのは確かだね。

カンノ:高校生のときに『ベルカ、吠えないのか?』を読んでそこにビックリしたというか。あの「なんじゃこりゃ?」感は未だに忘れられない。

YOU:「お前」っていう二人称の文章とかは古川日出男本人が語ってるように見えるもんね(笑)

カンノ:「お前」と言っているお前こそが古川日出男じゃねえかっていう(笑)もう古川日出男言語で喋ってるんだよね。「書いている」じゃなくて「喋っている」小説なんだよ。

YOU:その辺りが古川日出男本人の語りなのかどうかよくわからないこともやっていて、たとえばさっき言った『アラビアの夜の種族』だったら、古川日出男らしき作家が海外の市場ですごい古い本を見つけて、その本について紐解いていると、アラビアの魔術書をもとにナポレオンを退けようとした王朝の話が出てきて、その魔術書みたいなもののお話が『アラビアの夜の種族』に出てくるという入れ子構造になってるの。

カンノ:メタだね~。僕が初めて古川日出男を読んだときに、初めて文体を意識したんだよね。

YOU:文体は強烈だからね。

カンノ:「この人が語っている」ことの意識は古川日出男からだったね。でも、そういう創造物から「ものの考え方」について考えることをするには、あまりに国民が疲れ果てすぎてできていないように思える節はあるかな。やっぱりお笑い番組が蔓延っているのはみんな疲れているからだと思うんだよな。

YOU:そういうことは思うよね。

カンノ:『ラヴィット!』の炎上はある種の事故だと思うんだけど、その事故を引き起こす要因というのは世論にいくらでもあったなと思うんだよね。世論の思っていることと反対であるとか、そこからどれだけ飛躍した創造物が表れるのかというのがカルチャーの楽しみだったと思うし、そもそもカルチャーは余裕のあるところしか出現しないと考えると、今はカルチャー性みたいなものが乏しくなるもの致し方なしかなって思っちゃうかな。ようは金もないし疲れている。

YOU:そんなことを考えさせる『犬王』はAmazonPrimeの見放題で観られるので観てください(笑)

f:id:someofthem:20230525073137j:image