SOMEOFTHEMのメンバーであるカンノアキオ、YOU-SUCKで音楽にまつわる井戸端話の文字起こしを毎週アップします。
スチャダラパーの企業案件楽曲の怖さと軽さを語るサムオブメンバー。(後編)では、J-POPの世界で大喜利やものの例えが蔓延っていることから、ファストフード的な表現がますます強くなっていることについて語りました。(前編)と(中編)は下記リンクから。
カンノ:スチャダラパーって言葉遊び、構造遊び、取捨選択のセンスが抜群だと思うんだけど、そういう表現に触れると逆に大喜利って厳しくて難しいものだなと思うんです。Mrs. GREEN APPLEの「コロンブス」はその大喜利に失敗した感じに思えるの。
カンノ:大喜利というか、「ものの例え合戦」みたいな。
YOU:わかる。ヒゲダンとかRADWIMPSの歌詞も、ものの例えが過ぎてかえってややこしくなっているものもあるよね。
カンノ:ものの例えはすごくセンス問われるなと思って。今の日本って誰もがラップできて、誰もが大喜利できる国だなと思うの。X(旧・Twitter)で流れてくるフリースタイルラップの動画と大喜利的なものを見るのがとても疲れる。
YOU:疲れるよね(笑)
カンノ:みんな大喜利が大好きじゃん。
YOU:わかるけど、俺も大学生のころを考えると、「うまいこと言ったろう!」みたいな感じだったから、仕方ないなとも思っている。
カンノ:大学生ならまだかわいいけど、大人も大喜利したがってるでしょ。
YOU:大人もやってるの?それは気持ち悪いな(笑)
カンノ:でね、大喜利やものの例え的な考え方は、大衆動員に使いやすいツールにもなってるなと思うの。それでババを引いたのがミセスな気がするんだよね。これまでものの例えでうまく大衆を動員できていたんだけど、今回はしくじったんだと思うの。
YOU:同意しますね。本当にものの例え合戦の果てにあるのが今回の話だと思う。これに関しては、ちょっと音楽の話から離れちゃうんだけど、吉本隆明っていう亡くなっている詩人で思想家が、娘の吉本ばななの小説がすごく話題になっていたときに、「これはマクドナルドのハンバーガーみたいな文学だ」って評したの。
カンノ:ほぉ。
YOU:それはどういうことかというと、吉本ばななの代表作の『キッチン』って当時としてはすごくリーダブルな文章で、話の内容も入ってきやすいし、わかりやすく勇気が出るというか、「読んで良かったなぁ」と思う本なんだよね(笑)全然本を読まない僕の両親ですら『キッチン』の単行本は持っていた。そのくらい売れた本なんだよね。
YOU:では、なんでそんなに一般の人にウケたのかというと、使われている表現や言葉が回りくどいものではなくなったというのもあると思う。『キッチン』は87年の作品だけど、それ以前の、いわゆる純文学と言われる領域の作品って回りくどいことを言ったり、直接言わなかったり、そういうことを読者が読み解く必要があった。だからこそ、吉本ばななの登場は純文学の世界においてとても新しかったのだと思うけど、そこから30年以上経過して、その歴史を振り返ることができないくらいに、みんなの身体に染み込んでいる状態だと思う。そうなると、リーダブルなのは当たり前だけど、文学作品として成り立たせるためには、日常の機微をうまく表現する必要が生じた。吉本隆明は、文学作品を日常の言葉と遊離した独自の世界としてみていたけど、自分の娘がそれを日常の世界に持ってきたということを危惧している。それが「ハンバーガー」という言葉に表れている。だから、吉本ばななが出てきて以降のJ-POPって、わかりやすくて読み解く必要がない「大丈夫ソング」に溢れているんじゃないかと思うんだけど。カンノも「大丈夫ソング」と揶揄した遊びをポッドキャストでやってたけどさ(笑)
カンノ:「いつだって大丈夫 この世界はダンスホール」
YOU:そういう言葉が広まった果ての世界。
カンノ:ハンバーガー、つまりファストフード的な言葉だね。
YOU:それがかつて「それはハンバーガーだから、ハンバーガー以外のもの食べなくちゃだめだ」って指摘した人がいたとは思えないくらい、ハンバーガーかそれに類するファストフードばかりになっちゃった。
カンノ:なるほどね。
YOU:ファストフードの世界のなかで芸術点を競い合っている感じ。しかもファン心理として、みんな自分の好きなものをいいものと思いたいわけじゃん。自分の推しを絶対視しないなんて小難しいことを考えてる人はそんなにいないんですよ。まぁ、それはある程度仕方ないんだけど。そのわかりやすい言葉を発するなかでの競争というか、それが前提じゃないとゲームのスタートにも立てられない状態。ただ、「これはダメじゃない?」というリテラシーはネットでは見ることができるので、ファストフードを作り続ける業界と、ある程度リテラシーのある受け手というズレ。リテラシーのある作り手と受け手にとっては、「こういうことを言ってはいけません」「それは歴史的にダメとされています」みたいなことを踏まえたうえで楽曲を作らなきゃいけないのが当たり前になっている。そこを踏み外すと、炎上につながる。リテラシーがあって、耳や目が肥えた人たちがMVを見て「あれはダメでしょ」って言うこと。業界と受け手の乖離だと思いましたね。
カンノ:大喜利とか、ものの例えとか、その構造がどれだけ身体に入ってるかだと思うんだよね。たとえば、いっちょ前に「お笑い風情でございます」でなにかやろうとすると失敗するんだよ。やり方とか、それによってなにかを蔑ろにしてしまう部分がないかとか、そういう判断をちゃんと持たないと、単純に面白がりで全部通過させちゃうからさ。そういうことがセンスにつながるから。「歴史の偉人を使って普遍的なメッセージっぽい歌詞で、エクストリームな歌と展開のJ-POPにしよう」となると、いい曲として成立させたつもりがセンスのないものになってしまうという。だから大喜利脳やものの例えで作ろうとすると危なっかしい。
YOU:なるほどね。
カンノ:あと最後に話したいんだけど、僕が最近音楽に求めていることなんだけど、ファストフードの話になりましたが、それってみんながしっかり理解しているような濃い目の味を安価で買えるようにして、口に運んで「あの味だ」と思わせるということだと思うの。
YOU:ファストフードってそういうことだね。
カンノ:J-POPもそういうことだと思うんだけど、僕はなにを求めているかというと、新食感だなと思うんです。
YOU:新食感(笑)
カンノ:「この噛み応え、全然知らないんだけど」みたいな音楽を聴いたときの興奮度合いは半端ないですよ(笑)
YOU:「こういう切り口で来たか」みたいなね。
カンノ:そうそう。それってファストフードからはなかなか生まれないよね。安定してないから。全然知らない地方のお菓子メーカーから、とんでもないお菓子が生まれて、「これヤバいぞ、ふわふわ食感で甘じょっぱい」とか言いたいんだよ(笑)
YOU:なるほどね(笑)
カンノ:そういうニュアンスを音楽から得たいんだよね。
YOU:俺とカンノは高校生からの付き合いで、過ごしてきた期間も長いし、見たもの聞いたものも似てるはずなのに、微妙に好みにズレがあるのがわかった気がした。俺は結局、オーソドックスな味を求めている気がする。高い店に行ったら高いものが食べたいし、安い店に行ったら安くて早く出してほしいし。
カンノ:たとえば僕たちは生まれてないので知る由もないけど、サザンオールスターズのデビュー当時って新食感だったと思うの。
YOU:それはそうだね。その新食感がいつの間にか国民食になったわけでしょ。
カンノ:そういう新食感って、たとえばスチャダラパーってずっと存在し続けてる気がするんだよね。
YOU:所謂ヘッズと呼ばれる人たちが、めちゃくちゃフォローする人たちじゃないからね。
カンノ:みんな当たり前に「今夜はブギー・バック」とか「サマージャム95’」とか聴いてるけど、もっとあることを全然知られてないからね。知らない食感の音楽。もっと噛んで聴いてもいいんじゃないかなと思いまして、近年のスチャダラパーのヤバさの話をしました。