SOMEOFTHEMのメンバーであるカンノアキオ、YOU-SUCKで音楽にまつわる井戸端話の文字起こしを毎週アップします。
映画『PERFECT DAYS』について語るサムオブメンバー。後編では、ラストシーンの役所広司演じる平山という男に関するカンノメンバーの考察から、規範からはみ出ることの難しさについて考えました。(前編)は下記リンクから。
カンノ:映画のラストシーンって役所広司の顔がアップされるじゃん。あの表情、素晴らしかったよね。
YOU:あの顔は役所広司にしかできないよ。
カンノ:その手前の部分で、石川さゆり演じるスナックのママが三浦友和演じるその元夫に抱きついて、その光景が衝撃で、平山も自分のルーティンにはない、Peaceのタバコと缶のハイボールを買うじゃん。それを持って隅田川の前で佇むのはルーティンから外れてるんだよね。そこに元夫が来て、命がそんなに長くないことがわかってしまう。で、そのあとに二人で影踏みをするじゃん。
YOU:そうだね。
カンノ:その前のシーンでいうと、妹の子ども、つまり姪っ子が家出をして泊まりに来て数日間一緒に過ごしていた。でも最終的には平山は妹を呼んで、姪っ子を帰らせてしまったよね。つまり、平山の周りにいる人たちはパーフェクトデイズを送れてないと思ったんだよ。人間関係の様々な場面で浮き沈みが発生する人たち。振り回されたり、それでも愛したり。そういう人たちを平山は見ていた。ただ、平山だけは人間関係に左右されないパーフェクトデイズを送っている。それでもって、たしかラストシーンは元夫との影踏みをした翌日の朝だったはず。出勤する車のなかの役所広司の顔のアップで終わるんだよ。で、泣き笑いだったよね。その8割くらいは周りが人間関係に左右されているなかで、自分は誰にも左右されないことを悟った泣きだと思うの。
YOU:それはおもしろい読みですね。
カンノ:で、残り2割の笑いは、それに恍惚としている平山。「パーフェクトを送るしかない」という絶望と、それすらも喜んでいる状態。
YOU:なるほどね。
カンノ:だから平山はこのままの状態で生きて、そのまま死んだら本当のパーフェクトになる。
YOU:今の話、普通におもしろすぎてWEB記事を読んだ気分だった(笑)
カンノ:自分の人生をもう引き返せないことへの絶望と、引き返せないことへの希望が混ざったのが、あの顔。
YOU:なるほどね。
カンノ:平山の実感は「俺はパーフェクトデイズを生きるほかない」の一つだけなんだけど、それへの感情が対になる2つある状態。それがあの顔に表れているのではないか。「もう終わりだ…」と「終わりだ、嬉しい!」の2つ。もう自分には人間関係でどうのこうのが発生することはない。それへの絶望、そして喜び。つまり変態。
YOU:あの笑顔については考えてなかったな、なるほどね。
カンノ:俺、たまにあの顔するよ。
YOU:アハハハハッ!年々パーフェクトに近付いていってる(笑)
カンノ:帰り道、あの顔になってるときあるよ(笑)
YOU:そう考えると、俺はあれになれないね。
カンノ:結婚したらパーフェクトなんて遠くなる一方でしょ。
YOU:パーフェクトはつまり、完全に閉じていることでしょ。で、周りに気のいい友人しかいない。
カンノ:多少のストレスはあるけどね。
YOU:でもそれは想定内のストレスだよね。俺はね、そういうものに対してすべて備えちゃうんだよね。おっさんになったとき、すべてに絶望しないように仕事をしてとか考えちゃうの。適度に自分を資本主義社会に明け渡しちゃう。だから、いくら居心地がいいとはいえ、いつ壊されるかわからないアパートに住むよりは、ちゃんと家を買ってそこに30年くらい住み続けたほうが安定してると思うわけ。だから平山の閉じ方はできないなと思ったね。
カンノ:なるほどね。
YOU:一人でなにかをやり続けるとか、プレッシャーがない仕事を続けるとか、自分のやりたいことだけをやるとか、俺には無理なんだよ。それこそ鬱になると思う。
カンノ:音楽に話をつなげるけど、J-POPって規範を言ってくるんだよ。聴く人はその規範に自分をチューンしたいから聴く部分もあると思うの。たとえば「明るく楽しく元気に生きましょう」ということがテーマの曲があったとすると、聴く人は「明るく楽しく元気に生きたい」と思うからそれを聴くわけじゃん。だから、J-POPって教科書的ななにかを提示して、聴く人は教科書的ななにかからはみ出たくないから聴く部分もある気がするの。つまり「好きなように生きる」ということができないから、人はJ-POPを聴いている部分もあるんじゃないかな。
YOU:お前は本当に嫌なことを言うよな(笑)
カンノ:だって「責任取れるの?」っていうことになるから。好きなことをして生きるって無茶苦茶責任がいることがわかるんだもん。だったらある程度はJ-POP的な規範で生きたほうが責任は分散されるから楽な部分はあると思う。
YOU:「みんな、誤魔化し誤魔化しやってんだよ!」っていう(笑)
カンノ:みんなもそうだから共有されてあるある化する。画一化されていく。やっぱり責任は負いたくないし、教科書的なものに従ったほうが楽だから。もはや欲求なのかもしれない。従いたいという。はみ出るとか、道を外すとか、ちょっとズレたことをやることの難しさ。だから平山の生き方は非J-POPだよね。
YOU:平山の閉じた生き方に対して、憧れを抱いてしまう人は絶対いるよね。でもさ、考えてみて欲しいんだけど、平山は新しいものに無頓着だけど、パティ・スミスだって当時のヒット曲なわけで、そのカセットが流通して平山のところにあるわけじゃん。平山が古本屋で100円の文庫本を買うとか、趣味のいいカセットを買うとかも、誰かが資本主義社会で上司に説教されながら必死こいてなんとかできたものの上に成り立ってるものじゃん。その出がらしみたいなもので都会にひっそり生きている話だよね。ズルいよね(笑)文化を楽しんでる割に、文化にかけるコストが超低いって。でも一方で、心にある平山的なところは大切にしてあげないと、単なる資本主義の犬になってしまうよね。
カンノ:だからYOU-SUCKも1日1回、あの泣き笑いやったほうがいいよ。
YOU:たしかにあれで浄化されるかもな(笑)