ART-SCHOOLの何が良いかを人に説明するのはとても難しい。というより、普段は他人にその魅力を説明をしたくない音楽である。何故ならば、ART-SCHOOLを好きである理由を説明する過程で、自己嫌悪する割に努力も行わない、私小説にもならない矮小な自意識に触れざるを得ないからだ。そこにはポジティブな感情はほとんどない。
僕は自分が嫌いだし、だけど愛されたい。どこかで一目置かれたい、だけど常に疎外感に苛まれる。夢らしい夢はなく、でも今の自分でいるのも嫌だ。ここではないどこかへ行きたいけれど、どこにも行くことができない。そーゆうコンプレックスをドライブさせて努力に転じた結果、素敵な出会いや嬉しいことがなかったわけではない。けれど、その時が過ぎたらいつものように一人で自己嫌悪に苛まれている。どんな本を読んでも、どんな映画を見ても、どんな音楽を聴いても埋められない自己の空っぽさに目を向けざるを得ない時がある。
そんな自己を思う時、僕が聴く音楽はART-SCHOOLしかなくなる。
ART-SCHOOL ≒ 木下理樹は、ずっと行き場のない心について歌う人だ。成長する自己、愛し合うこと、未来を志向することではなく、「ここでないどこか」に行きたくて、「自分ではない完璧な君になりたい」心のありのままを切り取って歌ってみせる。そのありのままは、人によっては喪われてしまった甘い過去の記憶だし、切り捨てるべき未成熟さでしかないが、木下理樹は執拗にそれを歌い続ける。
そして、明確に僕を「生」の方向へ軸足を向けてくれる音楽を作り続けている。人のもつネガティブな感情と、自己陶酔に満ちた自己愛の表明を高らかに、でもどこか恥ずかしげに歌い続ける木下理樹に、どうしても憧れてしまう。
絶え間ない成長、共感、感じのいい言葉、自分にタグ付けしてアピールすること、効率化すること、わかりやすくすること、それが賞賛され、時には大きなお金に変わる今、それができないやつはどうすればいいのか?
僕はART-SCHOOLを聴く。必要最低限の息がでいるだけの努力はするから、せめて精神だけはありもしなかった過去の美しい思い出の中で恍惚とさせてくれ。
誰も聴いている人にあったことないけど、『Anesthesia』は今の体制(サポートミュージシャン ベース:中尾憲太郎、ドラム:藤田勇)になる前の名作だと思う。サウンドはスマパンとブロックパーティの正面衝突。
- アーティスト: ART-SCHOOL
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