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サムオブ井戸端話 #032「優里の”らしさ”とは何か?」(前編)

SOMEOFTHEMのメンバーであるカンノアキオ、オノウエソウ、YOU-SUCKで音楽にまつわる井戸端話の文字起こしを毎週アップします。

 

「優里についてどう思いますか?」とカンノメンバー。アルバムを聴いてオケから「優里らしさ」を感じ取れなかったことから、ミュージシャンが提示する”らしさ”の重要性と、逆にそれが足かせになることもあることについて語り合いました。

 

カンノ:優里についてどう思いますか?

YOU:優里って意外と男っぽい声してるよね。

カンノ:優里は男っぽいよ。

YOU:俺「ドライフラワー」くらいしか聴いてなかったんだけど、アルバム聴いたら結構びっくりするくらい男っぽかった。

カンノ:あんまりナヨナヨしてないよね。

YOU:そうそう。もともとロックバンドをやってたんだよね。それでMY FIRST STORYのボーカルの人がフックアップして話題になったのが始まりなんだよね。

カンノ:そうそう。そのあたりは僕もラジオで特集しました。

カンノ:でね、優里の今年出たアルバム『壱』を聴いたんです。

カンノ:歌っている人が優里であることが最大にして唯一の重要なことというか。優里が歌えばオケはなんでもいい感じがしたの。

YOU:あ~、そうだね。

カンノ:だから優里の声を聴く目的がなくなったら、これを聴く意味ってあんまりないなと思ったの。

オノウエ:「優里を聴く」ことに特化したアルバムってことね。

カンノ:そうそう。たとえば同時期にAdoもアルバムを出してるんだけど、これは意味があるんだよ。

カンノ:曲によって濃淡はあるんだけど、Adoらしさみたいなものはオケからも感じられるの。それをAdoが歌ってるから、ちゃんと「Adoのアルバムを聴いてるな~」という実感が持てるの。

YOU:Adoというキャラクターを作るために、制作陣がそれに合わせてちゃんと投げているというのはあるよね。

カンノ:でも優里のアルバムを聴いても、オケがあんまり優里らしさと結びつかなくて。

オノウエ:「優里っぽいよね」がないんだ。

カンノ:「優里っぽい」ってないよね。

オノウエ・YOU:ない。

カンノ:それを突き詰めちゃうと、「なんでこの人は音楽をやってるんだろう?」になっちゃうんだよね。

オノウエ:アハハハハッ!

カンノ:でも音楽をやるうえで、それって重要な話じゃないの?

YOU:たしかに優里は個性的ではないよね。

カンノ:「ドライフラワー」もフォーク方向として古典的といえば古典的じゃん。

オノウエ:超古典的だよね。なんか優里ってもっとあいみょんみたいになるのかなと思ってたのよ。でも全然そうでもなかったよね。

カンノ:あいみょんはまだ遊びがあるよね。

オノウエ:優里はアーティストとしての記名性が全然ないよね。

YOU:だってアルバムタイトルが『壱』だよ。

オノウエ:アルバムタイトル『壱』って本来はそれなりの覚悟が必要じゃん。

カンノ:なんか、タイトルの付けようがなかった気がする。

YOU:俺もそう思うな。

オノウエ:逆に覚悟がなく『壱』って付けてるんだと思うの。アルバムタイトルがナンバリングって意味を持つじゃん。『壱』の次は多分『弐』が来るし。そのアップデートする様を見せることになる宣言に本来はなるはずじゃん。それがなさそうなんだよね。やっぱり変だよね。

カンノ:やっぱり宣伝文句で「バイラルチャートで大ヒット」って言葉を使うのは危ないと思うんだよ。

YOU:「バイラル大ヒット曲!」って書いてあるもんね。

カンノ:「ハイブリッドシンガーソングライター」とかさ、危ないよ(笑)

YOU:何と何がハイブリッドなんだよ(笑)

カンノ:優里なんてハイブリッドじゃない古典的なところが良さなんじゃないの?

オノウエ:プロモーターが中学生なんだよ(笑)

カンノ:「声が特徴的」とか「この人が歌うことに意味がある、以上」みたいな人って結局カバー歌手になっちゃうと思うんだよね。「個性的な声」「歌がうまい」だけで突き進むと、その人のやりたい音楽があんまり見えてこないというかさ。

オノウエ:だから気になるのは優里の5年後だよね。これは揶揄の対象になる言葉だけど、ロキノン系という言葉があるじゃないですか。でも当時のロキノン系のバンドって今でもちゃんと参照点になるじゃん。ART-SCHOOLとかアジカンとか。今出てきてるミュージシャンもちゃんとそういう残り方はするのかな?

カンノ:外からの語られ方としてそういうのもあるけど、やっぱり「この人はこういう音楽がやりたいんだな」って音楽を聴いてるとリスナーとしてそう思うことがあるんですよ。それを僕は「音楽観」と言ってるんだけど。「観」がちゃんとあるミュージシャンの音楽を聴くと嬉しい気持ちになるというかね。

オノウエ:それって「どう自分が音楽を受容してきたか」がそのまま作る側になったときに反転するよね。

カンノ:そうだね。そしてその「観」が邪魔になる場合も正直ある。とくに「売れていこう」という思いがある場合において。たとえばラジオで僕は平井大の話をよくしていますが、極論言うとその「観」を取っ払って売れた人に思えるのね。

オノウエ:そうだね。あと平井大に関していうと、結構長く音楽をやってきて、その落とし所としてああいう売れ方をしたと思うんだよね。

カンノ:「連続リリース」という名の落とし所ね。それがちゃんとうまく作用した。

オノウエ:もともとサーフミュージックがやりたかったけど、それだけじゃ食えないからという覚悟が見えるというか。でも優里はそれが見えないのにやってるから不気味なんだよね。

カンノ:自分が音楽をやるうえでなにか大事にすべきものがあるはずで、でもそれ自体が足かせになる場合もある。でも最初から大事にすべきものがない状態で突き進んじゃうのはやっぱり危ないと思うんだよな。

オノウエ:だから聴く側にとって優里の音楽って何なんだろうね。

カンノ:人生のなかで音楽がそんなに重要じゃない人にとってはちょうどいい塩梅の音楽ってことなのかもね。

オノウエ:それはそうかもね。

カンノ:で、J-POPに必要な要素って実はそこだったりするのかもしれないなと思いますね。

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