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サムオブ井戸端話 #086「吉幾三とKREVAから考える”キャラクターを背負う”ということ」(後編)

SOMEOFTHEMのメンバーであるカンノアキオ、YOU-SUCKで音楽にまつわる井戸端話の文字起こしを毎週アップします。

 

吉幾三KREVAのあり方からミュージシャンのキャラクターについて語るサムオブメンバー。後編ではHIPHOPのミュージシャンや桑田佳祐サンボマスターをとおしてキャラクターについて語りました。前編は下記リンクから。

 

 

カンノ:ヒップホップ全体を背負うキャラクターとしてZEEBRAという存在はいると思うんだけど、いつからかZEEBRAのほうがKREVAよりかわいくなったよね。

カンノ:KICK THE CAN CREWってポップな楽曲も相まってキャラクター的にもかわいかったじゃん。

YOU:ZEEBRAは怖かったよね。

カンノ:それがどんどんZEEBRAのほうが降りてきて、KREVAのほうが神っぽくなっていったのがね。あのグラデーションは何なんだろう?

YOU:こういうことって日本の芸能界で起こってるよね。たとえばEXITって「チャラいけど真面目」みたいな言い方をされるじゃん。

YOU:「ああいうキャラクターだけど、本当は〇〇」みたいな言い方って多いじゃん。

カンノ:「性格悪そうだけど、本当は良い奴」とかね。

YOU:梅沢富美男がテレビにたくさん出てるのもそれが理由でしょ。

カンノ:なるほどね。「怖そうだけど優しい」「コワモテだけどかわいい」っていうのは男性俳優ですごく多いよね。

YOU:「ああいうキャラクターだけど、本当は〇〇」が多すぎて、本来やりたかったキャラクターとして行けないパターンってあるかなって思ったんだよね。

カンノ:でも、それは表裏一体な気がするな。「このキャラクターで行く」というのは貯金なんだよ。そのキャラクターを演じ続けてそのまま思った通りのキャラクターになっていく人もいるけど、反動が起きた瞬間に真逆の見られ方になるというのも同じな気がする。「怖い世界にいる怖い人かと思いきやすごくかわいく見える」というのは、それまでの怖い貯金があった分のかわいく見える現象だよね。だからキャラクター貯金はどっちに転んだとしてもしておいたほうが良いんだよね。「かわいいキャラクターで行く」と決めたならかわいく見せることを徹底したほうがいい。そうしたら「性格悪い」に転じたときに面白がられるから。「怖いキャラクター」としてなら「意外とかわいいかも」という見られ方に大きく転じられることもある。「性格悪いキャラクター」としてやっていたはずなのに「結構良い人だよね」と言われるのは、それまでちゃんと「性格悪いキャラクター」だったから。

YOU:なるほどね。

カンノ:もちろん、そのまま「怖いキャラクター」「かわいいキャラクター」「性格悪いキャラクター」とかの場合もある。でもその真逆も同じ可能性くらいあるから。自分にそのつもりはなくても、周りがそう言い出したらそうなっていっちゃうし。たとえばあんなに怖そうだった漢 a.k.a. GAMIがYouTubeでクッキング企画やってるんだもん(笑)

カンノ:もちろん今も全然怖い面はあるんだけど、それと同じくらいかわいくなったから。

YOU:それを本人も否定してないもんね。かわいいキャラとして見られることは全然許容してるように見える。

カンノ:あとは呂布カルマも見た目はすごくイカつそうなのに、テレビで気さくに喋っていたりさ。

カンノ:この振れ幅、逆張り感みたいなものっていろいろあるよね。でも何にしてもスタートは意識的だろうと無意識だろうと「このキャラクターを背負う」というところからだと思う。今喋ってて思ったけど、とくにヒップホップはキャラクター重視になりやすいんだろうね。

YOU:ヒップホップ、とくにラッパーは声とその人がなにを言ってるのかが物言う世界だからね。演奏じゃないから。その個人のキャラクターに重きを置かれるのはわかる気がする。俺は最近、桑田佳祐のことばかり考えてるんだけど。

カンノ:桑田佳祐率いるサザンオールスターズが登場してきたときって、どう考えても異端な存在だったわけじゃん。それがいつから国民的なミュージシャンになったの?

YOU:「いとしのエリー」とかから売れっ子バンドだったけど、国民的なバンドとして扱われるのは90年代から2000年代にかけてだね。桑田が映画監督をやって、そのテーマ曲である「真夏の果実」とかがめちゃくちゃ売れたのが1990年。「TSUNAMI」が1999年。「波乗りジョニー」が2002年。

YOU:この時期の桑田佳祐のことを考えると、国民的な存在になるまで1曲1曲ちゃんと企ててたと思うのね。

カンノ:楽曲におけるエロ方向、バラード方向、励まし方向みたいなこと?

YOU:そうそう。それが妙なバランス感覚で成り立っているのが桑田で、そのどれでもあるんだけど、そのどれでもないみたいな。話せば話すほど語り足りてない部分があるのが桑田だなって思うの。それは調べれば調べるほど思う。スージー鈴木氏は自分の本のなかで桑田佳祐のことを「戦後民主主義を体現するミュージシャンである」ということを言ってるの。

YOU:それは俺もすごく同意するんだけど、一方でそれは桑田佳祐というキャラクターを決定づけるにはなにも言っていないに等しいなとも思うの。

カンノ:なにかで括ることや、まとめることができないみたいなこと?

YOU:そういうこと。「戦後民主主義を体現するミュージシャン」ってまとまってるようでまとまってない言葉だと思うんだよね。たしかに戦後の平和な時代における文化の多様性みたいなものを桑田佳祐が担ってると言っても過言ではないと思うけど、それは「桑田のキャラはこれだ」って言えることがないっていうことでもあって。それぞれの曲ではそれぞれの曲としてあって、インタビューでもそれらしきことは言ってるけど、本質はそのどれでもないというか。

カンノ:要素でしかないという感覚はわかる気がする。

YOU:「この切り口で桑田佳祐について語ったら面白い気がする」みたいなものって意外と少ないんだよね。桑田ってキャラクターとしてはすごくおぼろげなんだよね。ラジオとかで下ネタ好きと言うキャラは認知されていて、ステージではお姉ちゃん捕まえてエロを全開で出したりしてるけど、べつにそれが決定的なキャラクターと言えるものでもないし。「俺はこれだ!」と言えるものがありそうでない。

カンノ:1個の強烈なキャラクターを持つ人じゃないよね。佐野元春って「元春だな~!」って思うし、矢沢って「YAZAWAだな~!」みたいな振る舞いってたしかにあるね。「長渕だな~!」「ユーミンだな~!」もある。でも「桑田だな~!」はそれらに比べると掴みにくいかも。

YOU:もちろん声を聞いたら「桑田だな~!」って思うし、よく使うコード進行とか歌詞もあると思うんだけど、キャラクターを感じるっていうことは桑田にはないと思う。

カンノ:あとこの辺りも聞きたいんだけど、サンボマスターをキャラクターの面で考えるときにどう思う?

YOU:ライブでの振る舞い方とかいろいろ考える面はあるけど、「演じている」という意識ではないと思うよ。

カンノ:ここは分けて考えたいんだけど、キャラクターを「演じている」ではないと思う。でも「背負っている」意識はあると思うんだよね。

YOU:そうだね。めちゃくちゃ背負ってるね。俺はサンボって客層の変化を受けて楽曲も変わっていったと思うんだよね。ある時期からソウルっぽい横ノリの曲も少なくなったしね。それはお客さんに対して誠実すぎる結果かなと思う。お客様の声を聞きすぎた結果、今のポジティブな曲調の楽曲が増えたっていうことだと思うな。

カンノ:僕らはよく話すけど、昔のサンボマスターは「できっこないをやらなくちゃ」という言葉を使わないで「できっこないをやらなくちゃ」を体現していた人たちだと思ってたから。

カンノ:いつからか直接言うようになったなと思ったんだよね。遠回しの表現の人たちだったから。

YOU:そうだね。「青春狂想曲」における「このまま何も残らずにあなたと分かち合うだけ やがて僕らはそれが全てだと気がついて」とか、「歌声よおこれ」の「涙流れて雲の上 汚れきった僕らは あなたに会いにいく」とかね。そういうことが通じなくなったと思う。

カンノ:「キャラクターを背負う」というのは今ミュージシャンとして自身が売れていくためにわりと必須条件かなと思ったんですよね。「キャラクターを背負う」ということが表現として目に見えるかたちで表せる人というのが。で、僕はそれが苦手だなっていう話でした(笑)

YOU:こんな話をしておいて「やりません」っていうね(笑)

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