SOMEOFTHEM

野良メディア / ブログ / 音楽を中心に

サムオブ井戸端話 #085「吉幾三とKREVAから考える”キャラクターを背負う”ということ」(前編)+SOMEOFTHEMよりご報告

SOMEOFTHEMよりご報告

カンノ:久々の更新でございます。誰が見ているかわかりませんが、一応ご報告させていただこうかと思います。このブログ・SOMEOFTHEMのメンバーであったオノウエソウさんという人がいましたが、脱退です!

YOU:フフッ。このブログ、あいつが立ち上げたんだけどな(笑)

カンノ:そうです、でも抜けました(笑)もう音楽に対して喋ることがないらしいですよ。

YOU:それは脱退して然るべきだね(笑)

カンノ:そしてこのブログでは『Radio OK?NO!!』というポッドキャスト番組、こちらは僕と上野翔という男と2人でやっていた番組ですけど、その文字起こしも掲載していましたが、この番組自体もしばらく休止しようと思います。

YOU:ままならない事情があったのでしょうか?

カンノ:僕は4×4=16という音楽ユニットをやっていまして、上野君はそのバンマス的存在なんですけど、一番の理由は「曲を作ってほしいのでここで喋っている場合ではない」ということです。

YOU:フフッ。

カンノ:「ここで喋ってる暇あったら曲作っといてくれ」と言いました(笑)

YOU:なるほどね(笑)でもいいと思います。この時間を有効に使ってもらってね。

カンノ:で、6月に企画を行うんですが、まだ1曲もデモが来ていないことだけはお伝えしておきましょう。

YOU:痺れるね~!

カンノ:新曲をおそらく8曲くらいはやらないといけないんですが。

YOU:恐ろしいね(笑)

カンノ:というわけで4月からサムオブ井戸端話は私、カンノメンバーとYOU-SUCKメンバーの2人体制で基本的には行っていきます。原則週1更新のブログになるかな。で、僕は僕でnoteで個人音楽ブログを書いちゃってますが、時々YOU-SUCKメンバーもコラム的なものを書いてもいいかもしれませんね。

YOU:はい、それも仕込み中です。

カンノ:そんな感じでSOMEOFTHEMないし、サムオブ井戸端話を引き続きやっていきたいなと思いますので、何卒よろしくお願いします。ではサムオブ井戸端話の本編に入ります。

 

 

SOMEOFTHEMのメンバーであるカンノアキオ、YOU-SUCKで音楽にまつわる井戸端話の文字起こしを毎週アップします。

 

吉幾三KREVAのキャラクターについて考えたカンノメンバー。キャラクターを背負っていることをセルフブランディング的に楽曲のなかでうまく伝えられるミュージシャンこそ売れて然るべきなのではないかという話をしました。

 

カンノ:ミュージシャンのキャラクターについて喋りたいなと思います。TBSラジオで放送している『東京ポッド許可局』という番組で、リスナーのリクエストで吉幾三の「俺はぜったい!プレスリー」が流れたんです。

カンノ:そこで番組パーソナリティーマキタスポーツさんが吉幾三について話してたんだけど、マキタさんにとって吉幾三という存在は覆面レスラーに近かったっていう話をしてたのね。つまり素性がわからない。「この人はなんなんだ?」みたいな気持ちだったと。その後に「雪國」という王道の演歌を歌ったり、「俺ら東京さ行ぐだ」という日本語ラップの祖の一つと言われる曲を歌ったりするわけじゃん。

 

 カンノ:「俺はぜったい!プレスリー」もギターの弾き語りで、コミカルだけどすごくブルージーじゃん。

 

YOU:そうだね。

カンノ:流し出身の人が後に日本語ラップの祖みたいなことをやったり、王道の演歌をやったり。そして自分で作詞作曲できるということ。自分でなんでもできるし、その曲ごとで自身のキャラクターをポンポン変えることができる。だから曲ごとで毎回、着ける覆面を変えて会場に現れるわけだよね。

YOU:なるほどね。

カンノ:で、話は変わります。批評家のimdkmさんのポッドキャスト番組『TALK LIKE BEATS』でクチロロの三浦さんがゲストの回がありました。

カンノ:そのときに三浦さんがKREVAの「瞬間speechless」について語ってたんですね。

カンノ:で、三浦さんはその曲の歌い出しである「俺はここらじゃイケてるほう OL、ショウガールにモデルも…」というのは、吉幾三の「俺はぜったい!プレスリー」の歌い出しである「俺は田舎のプレスリー 百姓のせがれ」とマインドは同じじゃないかという話をしていて。で、それはつまりなにかというと、そのキャラクターをメタ的に背負っている状況を提示したうえで歌い出すということ。

YOU:なるほど。

カンノ:その感覚がおもしろいなと思ってね。で、吉幾三は楽曲ごとでキャラクターが変わるという考え方でいうと、KREVAは背負っているキャラクターって一つだけで、それはラップスターであるということ。それこそKREVA平井堅の「POP STAR」をアレンジして「RAP STAR」という曲を自分のライブで歌っていた時期もあるんだけど。

カンノ:KREVAは「俺が最強」みたいな言葉が似合う人なんだよね。そういう自負がキャラクター化して表現に出てくることが、その人が売れるようにするためには大事な観点だなって思ったんですよね。この楽曲においてはこのキャラクター、このジャンルにおいてはこのキャラクターみたいなものを背負うことをちゃんとセルフブランディング的に表せる人の強さというかね。

YOU:そもそも吉幾三のキャリアっておもしろいんだよね。吉幾三って「雪國」を代表曲とした演歌歌手のイメージもあると思うの。でも一方、この人はシンガーソングライターなんだよ。しかも吉幾三が演歌を出していくのって80年代以降なんだよ。で、その時期って演歌というジャンルが枯れ始めてきたころなんだよね。

カンノ:演歌というジャンルの憂き目みたいなものは80年代くらいからなんだね。

YOU:演歌って60~70年代にはガンガンヒットチャートに入っていて、80年代になってジャンルとして保守化して、ムード歌謡とごっちゃになっていったんだって。あと、演歌って自作自演じゃなくて、先生が作ったものを歌うのが基本なんだよね。

カンノ:作詞家先生、作曲家先生がいて演歌歌手が歌うと。

YOU:「この先生と歌手の組み合わせで売り出す」的なこともあったみたいね。でも吉幾三は自分で曲を作って歌ってるからフォーク・ニューミュージックのミュージシャン的でおもしろいんだよね。演歌というジャンルでそんな人はあんまりいないから。自分で曲を作ってないしプロデュースもしてないから、演歌歌手って周りにキャラクターを作ってもらう立場なんだよね。

カンノ:先生が書かれた歌詞の情感を歌い手が読み取って歌うということだから、やっぱり自分で作りあげるものではないんだろうね。

YOU:だから周りの人がイメージを作っていくんだよ。でも吉幾三は自分で作って自分で売っていく人だからすごいよね。

カンノ:おそらく「演歌歌手=役者」みたいなイメージなんだろうね。監督がいて脚本家がいて、この脚本家が書いた台本に対してどういう情感で演技したほうがいいかというのを何テイクか撮って、監督が「あ~、これこれ」と言ったものがOKテイクになるみたいな。それに対して吉幾三は自分で主演と監督と脚本をやる人なんだろうね。

YOU:そうだね。

カンノ:そういえばKREVAの1stアルバム『新人クレバ』の1曲目「Dr.K」っていう曲では「ビート俺 ラップ俺 全部俺」と歌ってたね。

YOU:たしかにKREVAも全部できる人だね。

カンノ:ラップもトラックメイクもスクラッチも全部できるし、世間に対するアプローチも全部一人で考えられる人だから。

YOU:THE・セルフブランディングみたいな人だもんね。

カンノ:吉幾三KREVAもそういうことに長けた人だなと思うんだよね。自分のキャラクターを客観的に見つめて、セルフブランディングできる人というのは先見性につながるというか、そういうことを見据えられる人は今の時代本当に強いなって思うね。そしてつくづく自分にはそういう才能がない。

YOU:フフッ。

カンノ:「俺はこのキャラクターを背負う」という自負が全然持てなかったから、こういう音楽メタ語りしかできないんだなって思うね(笑)キャラクターを背負うことを決めた人は喋らないと思うんだよね。キャラクターを背負うことを決めた瞬間、その人は中心人物になれるんだけど、そうじゃない僕みたいな人はずっと外野からメタな話をすることに終始してしまう。外側根性なんですよ。全然内側に入って「俺がNo.1」みたいなことが宣言できない。初期のKREVAは「Dr.K」と名乗って自分をキャラクター化していたけど、そういうことが全然できないね。

YOU:その瞬間瞬間でキャラクターを背負える人の強さはわかる気がする。

カンノ:そういう人が売れるべくして売れるんだろうなって思うね。

f:id:someofthem:20230405105237j:image