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サムオブ井戸端話 #088「演歌から考える"解放と抑圧"」(後編)

SOMEOFTHEMのメンバーであるカンノアキオ、YOU-SUCKで音楽にまつわる井戸端話の文字起こしを毎週アップします。

 

演歌について考えるサムオブメンバー。後編では、身体性がないことや非効率な物語が求められる演歌が逆にもたらす表現の喜びとシステムの重要性、現行のミュージシャンの自己表現の"していなさ"について語りました。前編は下記リンクから。

 

 

YOU:演歌って楽曲のジャンル以上に、「ドサ回りして売れる」ということがストーリーとして必要とされるんですよ。

カンノ:地方のCD屋の前でみかん箱の上に立って歌うとかね。

YOU:そういうイメージあるよね。

カンノ:あと地元のお祭りとかね。

YOU:そうそう(笑)そういう営業ってあるじゃん。ああいうのってそういうストーリーが必要とされるからやるんだって。つまり、もともと流しでやっていた人がレコード会社からレコードデビューできましたというストーリーが必要とされていて、それは皆やってるんだって。森進一とか八代亜紀みたいな、いまや大御所とされている人もそう。

カンノ:この話を聞いてて思うけど、身体性を解放してはいけないということと、そんな非効率な物語が必要とされる演歌の世界ってやっぱりすごいね。おもしろい。絶対にその世界には行きたくないけど(笑)

YOU:ただ一方で思うのは、1983年の『男はつらいよ』のマドンナが都はるみなんですよ。

YOU:都はるみは演歌歌手として売れっ子なんだけど、ツアーでノイローゼになっちゃって旅先で逃げ出して、その途中で寅さんに会って癒されるみたいな話なんだけど。そこでの都はるみの歌がすごく楽しそうで、めちゃくちゃ歌も上手いから見てて楽しいんだよね。だから自己を抑制することで、その反動から来る喜びっていうのも演歌にはある。もちろん解放しないことによるつまらなさもあるんだけど、一方でそういうのを超えて来る人もいる。

カンノ:前回のキャラクター論に通じるけど、セルフブランディングが苦手な人はそっちの道に行ったほうがいいのかもね。

カンノ:すごく雑なことを言うと、言われたことをやっていればいいわけだからね。それに耐えられる人が残るわけで。セルフブランディングが得意な人は実業家タイプで、僕はそういうことがすごく苦手だから。

YOU:じゃあカンノは演歌やるべきだよ(笑)だから歌謡曲と演歌のことを考えれば考えるほど、境界がわからなくなってくるの。で、桑田佳祐がすごいのは歌謡曲とか演歌をたびたびカバーしてるんですよね。桑田の同世代のバンドとかニューミュージックの人たち、あとはシティポップを担ってる人たちって演歌をカバーしないんだよ。

カンノ:しないね。たしかに桑田しかやってないかも。

YOU:そこを桑田はやるんだよ。で、歌謡曲の豊かさを担っているのはシティポップではなくて桑田なんじゃないかなって思ってるんだよ。桑田の振れ幅ってすごいんだよ。シティポップってその点でいうとあまり振れ幅がないから。

カンノ:それこそ前回に「桑田のキャラクターがあまりわからない」という話をしたけど、逆張りが多いからっていうのはあるかもね。

YOU:順張りもちゃんとやりつつね。

カンノ:「この世界のことだけをやっている」ということじゃないもんね。一つのことばかりに固執することのつまらなさというかね。

YOU:もちろんシティポップにも素晴らしい作品はたくさんあるし、一つの世界のことをやり続ける素晴らしさもある上での話だからね。

カンノ:この話はおもしろいな。

YOU:あと演歌歌手になってる人って子どものころから演歌歌手を志してなっている人が多いんだよね。だから演歌歌手って目指すもので、それは今もそうなはず。自分が気付いたら演歌歌手になっていたっていうことは基本ないんだよ。気付いたらシティポップ歌手になっていたことはあるかもしれないけど。

カンノ:演歌は家柄みたいなものってあるのかな。伝統芸能はあるけど、演歌歌手ってそのイメージはあまりないかも。

YOU:でも北島三郎が北島ファミリーを作っているから、疑似家族感はあるね。落語の一門も疑似家族と言えば疑似家族じゃん。

カンノ:なるほど、師匠と弟子って疑似家族だもんね。それも解放と反対の話だもんね。家が縛りの装置になるっていう。いろんなミュージシャンの人が、それを自己解放だと思って音楽表現をしてるわけじゃん。それを聴いて「全然解放してないじゃん」って思ってるかもな。なにかのワナビーであり続けてるだけで、全然自己表現に思えないというかね。

YOU:わかる。

カンノ:誰も表現で自分を解放できないのであれば、いっそのこと解放しない修業期間を大事にするっていうのもあるよね。

YOU:現状、徒弟制度みたいなものがない中でみんなそれぞれやってるわけじゃん。なんか逆にすごいというか、変だよね(笑)

カンノ:矢野利裕さんの『学校するからだ』をお互い読んだわけじゃん。

カンノ:あれを読んで一番思ったのが、「自分のなかにちゃんと学校というシステムを設けて生きていきたいな」っていうことでね。学校ってすごく貴重なシステムをインストールする期間だったなと思ってね。で、それって自分に抑圧をあえて設けるってことなんだよね。

YOU:いまは抑圧が取り除かれれば取り除かれるほど良いという風潮になってるけど、本当は何らかの枠組みは必要だし、我々はなにかを受け取って出していくことをし続けるわけじゃん。具体的にも抽象的にも。それってシステムを自分のなかに作るっていうことだから、そのシステムが上手く機能していなければ、受け取りも放出も上手くいかないし。

カンノ:演歌からシステムについて考えてみてるけど、結局そういったシステムなしでうまく自己表現できてる人ってそうそういないっていうことだよね。

YOU:ただ一方で演歌は演歌というジャンルに固執し過ぎてる部分はあると思うけどね。和服を着て日本の情景を歌うとか。

カンノ:そこまでして作り込んだ世界観から始まるってことかもね。この手の話は善し悪しの悪しばかりがフォーカスされがちだけど善しもあるからね。

YOU:今回は演歌って普通に売れていた時代もあったけど音楽を語るうえで無視されがちなジャンルになったということと、その良さとはなにかという話ができたかなって思いますね。

カンノ:SNSによる一億総自己表現時代のなかで、でもみんな同じような自撮りをして、TikTokでみんな同じ曲で同じ振付をして、あまり差が見えにくい感じになっていることと、同じような和服を着て「日本の心」を歌う演歌は似ているかもしれないね。

YOU:たしかに。

カンノ:唯一違うのは、それが自己解放という認識なのかどうか、みたいな。

YOU:むしろ徹底した抑制のほうが自己を解放できるかもしれないもんね。

カンノ:そういう意味で学校というシステムをそれぞれに設けて生活していったほうが、抑圧のなかからの解放って生まれやすいのかもと思いましたね。

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