昨年12月のテアトロコントが面白かった。
演劇人とコント師がそれぞれ30分ずつの公演を行うテアトロコント。その中で見たかが屋という芸人が面白かった。
彼らは基本的にあまり大声を出さない。感情的に大きな身振りで相手や客席に自分の思いを出すこともない。表情や間、台詞回しなどで心情を伝えている。これが93年生まれの芸人さんがやっているから驚きだ。演者は2人共純朴そうな見た目。それぞれ黒と白のTシャツを着用。賀屋さんは長髪のため女役も可能。派手で余計な情報が無く、すっと見ることが出来る。別のライブで見たときは、平場のトークよりコントの方がずっと声が小さくてびっくりした。それが心地良かった。
今年1月に観たナツノカモ低温劇団も面白かった。
劇団のポリシーとして「大きな声でツッコまない」「スピードで圧倒しない」「比較的長い」「わからなくてもジワジワおもしろい」「どこで笑ってもいいし笑わなくてもいい」というのを挙げていて、これが現行のお笑い賞レースの勝ち方に全く当てはまらない。だからこそ、こういう価値観は貴重だと思う。“本流”に対する“支流”である。“中心”があって“周辺”が存在する。
動画で上げた「コミュニケーション教室」の発展形である「婚活パーティーにやって来ました」と「混沌家族」は会話の不条理さ、もっと言うと意味を無くして音のみが発せられる言語感覚。それはどこかサンプリング的な継ぎ接ぎ感がある。「夢風船」は“風船の中に入ってしまった人物たちの会話”という設定で、観客側の想像力に全てを委ねられている。全力で想像していると、やって来てしまう眠気。それと「夢風船」という題材が交差する様が個人的に異様に面白かった。
クチロロの「夢中」という曲が夢日記を題材にしたラップポエトリー曲で、これらの話の中間に当たる曲だと思った。どんなジャンルであれ、本流ではないこと行っている人たちはいるものだ。
昨年の「文化系トークラジオ Life」では、編集のコマ割りが早すぎておじさんには追い付けないという話をしていた。息継ぎすらカットする勢いで詰め詰めだと。
(2018年12月25日Part4「文化系大忘年会2018」7:30~ぐらいから)
それをM-1の霜降り明星の漫才に当てて考えると、彼らが時代に選ばれた感じも納得がいく。速いテンポでボケるせいやと、まるで画面が寄ってテロップが出るYoutuberの編集のようなツッコミの粗品。勿論このスタイルの漫才は昔からなので結果的にの話だが。そして、なんか勢いと熱量で突っ切る雑な漫才が増えてきた気がしなくもないかなぁ。
話を戻すと“本流”と“支流”、“中心”と“周辺”というものがどのジャンルにもあって、僕なんかも後者側をずっと長くやっていかねばという気概でございます。そんな“支流”や“周辺”のような企画をやりますので何卒。
4×4=16 LIVE06「毎度、ばかばかしい話」
3月10日(日) @下北沢THREE OPEN 12:00 START 12:30
前売 ¥2,000 当日 ¥2,500 (共に+1D)
出演 4×4=16
毛玉
AKAFUKU
数の子ミュージックメイト(OPEN /転換)
DJ春菊(CLOSE)
予約 4416infolive@gmail.com また各バンド取り置き、ライブハウスまで
告知ですが、何か問題でも。
4×4=16 カンノアキオ