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サムオブ井戸端話 #079「『ぼっち・ざ・ろっく!』から考える当事者としてのキツさ」(後編)

SOMEOFTHEMのメンバーであるカンノアキオ、オノウエソウ、YOU-SUCKで音楽にまつわる井戸端話の文字起こしを毎週アップします。

 

アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』について語るサムオブメンバー。後編では、現実世界での下北沢ギターロック界隈は存在するのにアニメ化されてしまうことの意味や、『ぼっち・ざ・ろっく!』評への違和感、あまりに古典的だった陰キャアプローチについて語りました。前編は下記リンクから。

 

 

カンノ:『ぼっち・ざ・ろっく!』に対して下北界隈の当事者としての気恥ずかしさがあるんです。きっと当事者性が薄ければ薄いほど、あのアニメは「良い作品だな」って思えるんだろうけど。

オノウエ:そうだろうね。

カンノ:僕は下北に近い距離にいる人間なので。そんな僕が思うのが、アニメの可愛いキャラクターが下北沢SHELTERがモデルとなっているライブハウスにいたり、あとアニメが最終回を迎えたあとに公式Twitterが「𝘛𝘩𝘢𝘯𝘬 𝘺𝘰𝘶.」という文言とともに、新代田の駅前を結束バンドの4人が楽器を持って歩いている姿の画像をアップして、そこで新代田FEVERというライブハウスを想起させるとかあるじゃない。

カンノ:そういうことを勘ぐると、二次元の可愛い女の子を用いたアニメという架空の世界に、下北沢ギターロック事情を入れ込まないと続けられなかったんだろうなと思ってしまったんですよね。

YOU:俺も同じことを思ってた。とあるライターさんの『ぼっち・ざ・ろっく!』の記事を読んだのですが、「下北沢ライブシーンへの愛が溢れている!」みたいな文章だったんだけど、まだみんな現役だし当事者なんだよ。「喜んでる場合なのか?」って思ったんだよね。「アニメに圧縮されている場合か?」って。たとえば「ART-SCHOOLめっちゃいいよ」って言っても聴く人は限られちゃうんだけど、「結束バンドのアルバムの終盤に『フラッシュバッカー』って曲があるんだけど、おそらく元ネタはART-SCHOOLの曲なんだよ」という話になると聴いてくれるとかね。

YOU:なにかをモチーフにしたアニメって本来はそれで完結しないし、元ネタがあったりするんだけど、結局見た人はアニメを見て終わっちゃうよね。『ぼっち・ざ・ろっく!』で終わっちゃう。「これが入門編になってくれたらいいですよね」と言っている時点で省みられなくなるというか、継承されないを気がするんだよ。下北のギターロック界隈はまだ存在しているのに『ぼっち・ざ・ろっく!』で語られたところで止まってしまう。で、これは個人的な意見だけど、日本のアニメコンテンツってそうなりがち。「こういうシチュエーションで女子高生がわちゃわちゃしてたら楽しいよね」っていうネタに引き寄せられた瞬間に、それまでのそのジャンルの歴史がなくなってしまうというか。それでおしまいになっちゃう感覚があるんだよ。俺も結束バンドのアルバムは聴いたけど、当時の下北沢界隈の人やそのフォロワーの人が制作していたりするので、完成度が高いのはよくわかるんだけど、あれを聴くならSCANDALとか聴いたほうがいいんじゃないかなって思ったんだよね。

オノウエ:現実にバンドをしている人だよね。

YOU:今やっている人の音楽はずっとあるんだから。やっぱり『ぼっち・ざ・ろっく!』を見て思ったのが、単純には喜べないってことなんだよね。楽しんだのだが、同時にすごく複雑な気持ちにもなった。

カンノ:あれは下北ギターロックシーンへの1歩目じゃなくて、0.5歩目なんだろうね。

YOU:あ~、そうだね。

カンノ:それは結局、全員が架空だから。当たり前だけど、音楽を聴いているんじゃなくて、アニメを見ているんだよね。そこから先に行くには、残念ながら結束バンドというバンドは現実には存在しないんだけど、それみたいなバンドを見つけて追っかけることはできるわけだからね。そこに興味を持っていけるかどうか。

YOU:俺らはゼロ年代の下北ギターロック界隈がリスナーとして好きで、演者としてもライブハウスに出ていた時期もあったじゃないですか。そうであればそのときを思い出したり、現役の人がいたらそのまま追い続ければいいし。変に「入門編」とか「アニメなのに業界のことちゃんとリスペクトしてて目配せができている」みたいな評価ってフェアじゃない気がするの。これは『ぼっち・ざ・ろっく!』に直接思うことじゃなくて、世間で言われている『ぼっち・ざ・ろっく!』評に対して思うことだね。『ぼっち・ざ・ろっく!』の音楽に対しての目配せの仕方は気が利きすぎてて、意図せず現役でギターロックをやっている人を無化してしまうように思えるんだよね。

オノウエ:「現実にギターロックをやっているミュージシャンを無化することになる」ということについてもうちょっと聞きたいかな。

YOU:『ぼっち・ざ・ろっく!』評への嫌さかな。「最近ロックは死んだとか言われてるけど、『ぼっち・ざ・ろっく!』もあるんだし良かったじゃん」みたいな言い方とか、「邦楽ロックって全然聴かれてないけど、『ぼっち・ざ・ろっく!』でアニメ化されたじゃん」とか。つまりアニメ化されたことによる祭りによって、そこに全部評価が集約される感じへの違和感。

カンノ:つまり「アニメ化されるくらい、誰も聴いてなかった」という話なんだよね。

YOU:そうそう。

オノウエ:この話ってそういうことだよね。現在進行形の文化じゃなくなったからアニメ化されたのであって。進化中のものであれば戯画化やアニメ化はされないって考えたら、あえて強い言葉で言うと「下北は死んだのだ」という。

カンノ:その言葉はこのブログじゃ荷が重すぎるよ~(苦笑)

YOU:俺は『ぼっち・ざ・ろっく!』を持ち出して邦楽ロックや下北のシーンを語ることの空虚さを思ったんですよ。

カンノ:「相対化されてしまった」ということなんだよね。だってもうアジカンは下北にいないんだもん。

YOU:そうなんだよ。アジカンバンプも下北にいないんだよ。

YOU:俺らのようなゼロ年代下北ギターロック界隈を知っている世代が「あれは入門編として機能しているよね」っていう評価をするのはやっちゃいけないと思うんだよね。俺らは俺らで知っている人たちをフォローしていくべきだし、アニメはアニメとして楽しめばいいしという。

カンノ:最後にちょっとだけ、『ぼっち・ざ・ろっく!』の好きじゃないところだけ話していい?陰キャのアプローチがずっと古かったように思えるんだけど。

YOU:わかる。すごいわかる。

カンノ:じつは下北界隈の二次元描写よりも遥かにそっちのほうがキツかったかな。バンドでインスタをやることになって「あれは陽キャしかやっちゃいけないから、私はきゃー!無理ー!」みたいな話ってもうすごく昔のように思えるんだけど。下北やライブハウスの描写は細かいわりに、陰キャ描写はすごく古典的だったなと思って。

YOU:漫画の連載媒体の読者層とかは当然あると思うんだけど、やっぱりアジカン世代に当ててるアニメでもあるからね。ゼロ年代に青春を迎えていた人に向けた古さがあるんじゃないかな。

カンノ:アジカンバンプを聴いていたような人は陰鬱なマインドで、典型的なコミュ障で、だからこそすごく古典的な陰キャとして描かれるってことね。

YOU:「イケてない奴でもギターヒーローになれる」の典型的な「イケてない」が描かれてるんだよね。これはアジカンのゴッチが自分のポッドキャストで喋ってたけど、革ジャンだったり不良じゃないやつがロックをやったという点で「Weezerが世界中に与えた影響はデカい」っていう話だね。

YOU:まだ我々は2023年になってもWeezerの延長線上にいて、そこから進歩できていないのかもしれない…。

オノウエ:それはちょっと辛すぎるな…(苦笑)

カンノ:もう一生抜けられないのかもしれないね。

YOU:そういうものとして演歌として受容していくのかもね。

カンノ:エモロック演歌か~。

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