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サムオブ井戸端話 #103『すべてが一緒くただった戦後芸能界』(後編)

SOMEOFTHEMのメンバーであるカンノアキオ、YOU-SUCKで音楽にまつわる井戸端話の文字起こしを毎週アップします。

 

永六輔坂本九ものがたり』をとおして戦後芸能界について語るサムオブメンバー。後編では芸能の各ジャンルを行ったり来たりすることと、表現者のアスリート化について語りました。前編は下記リンクから。

 

 

YOU:今って過去を振り返ろうとすると、たとえばビートルズならビートルズだけ調べちゃったりするじゃん。それはいいんだけど、「ビートルズが流行っているときにこういうものも流行っていた」みたいな面白さはあったはずなんだけど、壁ができちゃって軽薄に語ることもできないじゃん。

カンノ:できないね。

YOU:あと最近は吉田拓郎が引退したり、上岡龍太郎が亡くなったり、ようはその時代のごちゃごちゃしたときを生きた人たちがどんどんいなくなってるというか。たとえば、いとうせいこうという人は文芸も文学も伝統芸能も全部行き来できる人じゃん。彼はもともと編集者だから全部面白がれる人だと思うんだけど、それとは違うそのジャンルの純粋培養みたいな人が多くなるのは一抹の悲しさがあるなと。歌でヒットしたのにいつの間にか司会者になったり、コメディアンになったりする人がもっといたほうが新鮮だったと思うんだよね。

カンノ:田代まさしってそういう人だったよね。

YOU:田代まさしはまさにそうだね。

カンノ:ミュージシャンから志村けんに拾われてコメディアンになっていったというさ。

YOU:その志村けんザ・ドリフターズですからね。ドリフのリズム感覚も半端ないじゃん。あのコントもリズム感覚から来てると思うんだよね。「お笑いだけ学ぶ」ではなくて、「音楽感覚があったからお笑いもできる」というさ。

カンノ:よく言われる考え方だけど、松本人志一派は「お笑いをスポーツよりも強くしたかった」という話があって。つまり当時のプロ野球にバラエティ番組が潰されてしまうと。で、M-1で漫才を競技化させ、IPPONグランプリ大喜利を競技化させ、すべらない話で漫談も競技化させみたいな感じでスポーツの考え方を取り入れた結果、お笑いがスポーツよりも国民的なものになったという。で、それはほかの文化も蹴散らしたと言えちゃう部分はあるなと思うの。

YOU:なるほどね。

カンノ:僕がお笑いで一番好きなネタはくりぃむしちゅー海砂利水魚時代にやっていたサンプラーを使った漫才なんだけど。有田哲平が「もう引退する」と言って絶妙に気持ち悪い裸のマネキンを持ってきて、「上田がボケたら、こいつの言葉を後ろからサンプラーで出してツッコむね」ということでツッコミ台詞をサンプラーで出すんだけど、そのツッコミ台詞が全部間違ってて上田晋也がツッコむというネタ。今でいうオードリーのズレ漫才のかたちをサンプラーを駆使して90年代後半からやってたんだよね。

YOU:すごいね~。

カンノ:で、あのサンプラーを使った漫才をどうにか逆輸入して音楽の場でやれないかなと思って「星野裁き」という曲を作ったんだけどね。

カンノ:これは音楽の場で落語をモチーフにやってる曲だけど、原点は海砂利水魚の漫才という。音楽の場で全然違うジャンルのものをちゃんと持ち出してやってくれてるのは僕にとってはスチャダラパーだけなんだよ。「ついてる男」という曲があるけど、BOSEとANIで行われるついてない出来事は全部同じなのに、BOSEがネガティブ、ANIがポジティブに捉えることでBOSEパートがフリ、ANIパートがボケの構造になる曲なの。

カンノ:1993年時点でスチャダラパーはフリボケというお笑いの考えを音楽にトレースして曲にしているわけだよ。その考えで音楽ができている人ってやっぱりあんまりいないと思うんだよね。真面目にヒップホップやっていたり、真面目にロックやっていたり、真面目にTikTokでウケようとしていたり。「即興のラップバトルで勝つ」というバトルシステムは松本人志的なスポーツお笑いの考え方に近いと思うんだよね。スポーツ性よりは、「この映画の撮り方は音楽に当てはめるとどういうことになるのか?」とか「このお笑いのネタの作り方は音楽だとどういう構成になるか?」とか、あんまりそういう考え方で音楽が作られていないと思うから、結果的に音楽のなかでは音楽のことだけがなされているし、お笑いのなかではお笑いに特化した考え方が強いし。それに終始しちゃうから、そのジャンルのなかで独立したものになっていくという。で、過去のアーカイブもたんまりある時代だから、どんどんそのジャンルの特化という現象は続いちゃうだろうし。あとアーカイブがありすぎてどれを見ればいいかわからず、結果的に見ないことになる。それでいったら昔は芸能が限られていた分、豊かだったんだなと思うね。

YOU:わかる。明らかに坂本久や永六輔の時代のほうが不足しているのに面白そうなの。逆に言うと東京に一極集中しすぎてはいるんだけどね。不足しているから垣根も低いんだよね。あと今は専門性が言われがちじゃん。そんなもんは上手く使えばいいだけなのに、それがマウントの材料になってしまうというかね。

カンノ:絶対に専門性はあったほうが良かったはずなのに、なんでこうも良いことにならなかったのだろうね。

YOU:また別の話だけど、YOASOBIの「アイドル」を聴いて様々な音楽要素を切り貼りしただけに思えたんだよ。

YOU:「いろんな要素を押さえてます」という切り貼りなんだけど、俺が見たいのは切り貼りじゃなくてそれを混ぜたものなんだよね。

カンノ:文脈だよね。「なぜこれとこれを混ぜたのか」という理由づけは文脈だと思うの。

YOU:あれはアニメ『推しの子』の主題歌だから、アイドルという存在への批評を歌っていたりもするので、純粋に切り貼りしているだけとも思わないけど。めっちゃ勉強して作られた曲だなって思うんだけど、もうちょっとごちゃっとして文脈を感じられる曲とかなら面白いと感じられるんだけど。それぞれの要素を切り貼りして、それを1曲として歌い切ることができるikuraがすごいということにしかならないなと思うんだよね。

カンノ:アスリート的なすごさだよね。音楽の場面でのスポーツ選手的なすごさはもう疲れるんだよな。

YOU:このあたり難しいのは、俺たちが好きな文化度の高いミュージシャンも見えないところでものすごくスポーティーではあるところだよね。ただ、スポーティーさが出すぎてるなとも思う。

カンノ:スポーティーであることは今の時代、原則肯定的に見られるからね。わかりやすいから。歌がうますぎるとか、ラップがうますぎるとか。

YOU:で、そのスポーツ的なものへのカウンターもないもんね。

カンノ:そういう意味でスチャダラパーのやっていたことはカウンターだったと思うんだよね。ただそれ以降が出てこない。

YOU:ただゆるいラップすることがスチャダラ以降ってことじゃないもんね。最後にまた『坂本九ものがたり』の話に戻すと、坂本九が影響受けているものには落語もあるし歌舞伎もあるしプレスリーもあるんだよ。こういうことが想像つかないじゃん。しかも当時は追っかけてそれを見たり聴いたりしてるというよりは、そこにあったものを摂取していた時代だから。もちろんこのなかの人間関係では浮かび上がってこなかった無名の芸能人も数多いたと思うんだけど、でもいろんなジャンルの芸能人がすべてつながっていた時代だったんだなと思ったんだよね。それは豊かだなと思いましたね。

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