SOMEOFTHEMのメンバーであるカンノアキオ、YOU-SUCKで音楽にまつわる井戸端話の文字起こしを毎週アップします。
ミュージシャンの訃報の多さについて語るサムオブメンバー。中編では、カンノメンバーのオリジナル信仰の強さの自覚とバンドが解散したあとの在り方について語りました。前編は下記リンクから。
カンノ:主にバンドが解散するときにいつも思うんだけど、「あんなに聴いたあの曲のオリジナルのものが二度と聴けない」っていう感覚がすごい不思議なの。
YOU:わかる。CDもある、サブスクにもある、YouTubeにもある。それなのにね。
カンノ:何百回も聴けるじゃん。けど本当にリアルタイムでは聴けない、ほかのどの場所でも鳴ってないし、二度と鳴ることはないってすごいなって思っちゃうの。すごく変な気持ちになる。
YOU:「ライブ行っておけば良かったな~」って思うよね。
カンノ:いなくなっちゃうと聴けないんだよ。
YOU:俺はBUCK-TICKのライブを観に行ったことがあるんだけど、櫻井さんだけでなくほかのメンバーにも思ったんだけど、「本当に50代なの?」っていうギラつきと存在感、声、パフォーマンス。あれだけの存在感を放っていた人がこの世にないっていうのがとても信じられない。もちろんこれは有名人であれば当たり前の話かもしれなくて、亡くなった人全員に言えるんだけど。個人的に櫻井敦司という人には思ってしまったね。
カンノ:「リアルタイムで見ていた人がいなくなる」っていう感覚がすごく変な気持ちだなと思ってね。それはある人にとっては谷村新司がそうだし、坂本龍一、高橋幸宏、もんたよしのり、KAN…。もちろん今言っていない亡くなった人もそうです。で、僕たち世代からするとチバユウスケがそれに近いじゃん。ミッシェルも解散前くらいからリアルタイムで聴いてたし。
YOU:思い出したんだけど、うちの母は西城秀樹がめっちゃ好きだったんだけど、西城秀樹が死んだときはめっちゃ悲しそうだったね。
カンノ:そりゃそうだよな…
YOU:母は西城秀樹のコンサートもよく行ってて。で、亡くなったときにすごく落ち込んでて。その気持ちが本当の意味でよくわかるようになってしまった。で、これからどんどん俺たちの思い入れのある人たちが亡くなっていくじゃん。「その事実に耐えられるのか?」っていうさ。
カンノ:その今年一は、音楽じゃないんだけどナカゴーの鎌田さんの訃報だったね。
カンノ:ナカゴーはめちゃくちゃ近い距離で観ていた演劇だったからさ。
YOU:これまで出てきた人たちよりも圧倒的に若いからね。
カンノ:30代だからね。だからやっぱり「観に行かないといなくなってしまう」ということをリアルに思ってしまった。
YOU:俺、もう本当にわかりやすく1月、2月、3月とライブを観に行く予定入れたもんね。
カンノ:そうそう。正直、年齢とか関係ないよ。観に行くべきだよ。
YOU:本当に観に行くべき。気になっていて行けるなら観に行くべきだよ。
カンノ:さっきの「オリジナルのものが二度と聴けない」という感覚の不思議さの話に戻るんだけど、元BEAT CRUSADERSで今はTHE STARBEMSというバンドをやっているヒダカトオルさんがTOKYO FMの坂本美雨さんのラジオに出て話していて。
カンノ:坂本美雨のお父さん・坂本龍一がやっていたYMOは解散を「散開」と言っていたけど、ビークルもそのオマージュで「散開」と言って解散しました。そのラジオで言ってたことをざっくばらんに言うと、ヒダカさんは「誰か適当にビークル名乗ってやっていいよ」って言ってたの。
YOU:もうそれは「俺のものじゃない」みたいな。
カンノ:ビークルはお面を被って素顔を見せないままでメジャーシーンへ駈け上がっていきました。あの「顔出ししないミュージシャン」って今となっては当たり前になったけど、わりと僕ら世代でいうとその原体験だよね。ボカロシーンからVTuverの台頭、Adoの登場まで、J-POPではもう当たり前の表現テクニックになったけど。もちろんビークルとほかのミュージシャンでは顔を出さない意味合いも全然違うから同じ括りにするのは強引なんだけど。ただ、もしヒダカさんが今ビークルみたいなスタンスのことをするなら、もうバンド形態ではなくて、AIとかバーチャルリアリティーみたいな場所で、もう顔を見せないどころか実体も存在もしてなくていい、みたいなことを言ってて。
YOU:へぇ~。それを本人が言っているんだね。
カンノ:ビートルズって解散していなくなっても、いろんな世界中のロックバーとかでビートルズのコピーバンドが何百、何千、何万といるわけでしょ。バンドが解散したあとの、そのバンドの楽曲の行き着くところってそうなってもいいのにね、みたいな話をしてて。だからヒダカさんの話を聞いて、逆に僕のなかでオリジナル信仰って強いんだなと自覚した。オリジナルのバンドが解散して、そのオリジナルの人たちが演奏する曲が聴けなくなることがすごい不思議な気分なんだけど、バンドが解散した瞬間にそのバンドの曲はその人たちの所有物からみんなの共有物になる感覚みたいな話を、第一線で活躍する人がバンドを解散したあとに言うのは「なるほどな~」と思うのと同時に、メジャーシーンで売れるっていう経験をしたあとじゃないと言えない言葉だなということも思った。
YOU:そうだね。
カンノ:だから今さらチャットモンチーとか聴いて「めちゃくちゃ変な曲だな〜」とか思うんだけど、「この変な曲たち、もう演奏されてないんだよな〜」とかね。それが変な気分。
YOU:とは言っても我々はビートルズもジミヘンもジャニス・ジョプリンもカートコバーンもリアルタイムでは知らないじゃん。俺らが意識したときには解散したり死んでたりするから。
カンノ:古典化してるよね。
YOU:だからカンノが今言ったビークルやチャットモンチー、ナンバーガールやミッシェルもそうだけど、「鳴らないんだ」っていう感覚はミュージシャンと同時代を生きているときにその人たちを見聞きしたからじゃないかな。この前のVaundy『replica』の話にも通じるけど、所詮レプリカだというのはある意味正しいわけです。
YOU:ロックの技術・方法論は散々やり尽くされてるし、オリジナルなんて言えるものもとても少なくて、むしろレプリカみたいなものをいかにうまく適切なタイミングで出せるかが重要だと多くのロックファンが思っている。それは真実なんだけど、それでもミュージシャンたちの「オリジナルが今、本人たちによって演奏されていない」っていうカンノの感覚はそのミュージシャンと聴き手の同時代性の問題だと思うんだよ。現代のものとして受け取ってたのが急になくなる感じというのは、音楽性や表面的な振る舞いだけを見て「所詮レプリカだ」という真実とはまたべつの今を生きている聴き手固有の真実だと思う。自分の生きている人生の一部だったものがなくなる。ちょっと重たい言い方をしたけど、その感覚じゃないかな。