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死にたくないと言うために たま『いなくていい人』

生きるからには、退屈をやり過ごさなければならない。だから僕は仕事をするし、映画を見るし、小説を読んだり、音楽を聴いたり、酒を飲んだりしている。

 

たま 『いなくていい人』

 

ねえ誰でもいいからぼくの嘘を

まじめにきいてくれないか

ぼくのおしごとはいなくていいひと

 

シュールでひねくれているけれど切実で優しいこの曲の歌詞が、知久さんの幼いけど幽玄な声で歌われた時に、自分の自己否定的だけど自己愛に満ちた自意識に光が当たった気がした。

 

「自分がいない方がいいんじゃないか」と思いながら日々を生きている人はいないか?僕はそうだ。齢30手前にもなって自分のやる事なす事に自分で自分が信用がならない。自分のこれまでの人生でやってきたことすべてが、筋が通らないし、いちいち衝動的だし、そのくせプライドが高く失敗を隠そうとする自分が自分で信用できないし、何か面白い特技があるわけでもなく、雑談がうまいわけでもなく異性にモテるわけでもなく、なんだか毎日毎日今この場所に居ることが非常に申し訳ないように思う。申し訳ない、という感情がどこから出て来るか?それはおそらく自分より有能で性格も良い人がいるべきスペースをたまたま自分が占有してしまっているんじゃないか、という思いが拭えないのである。なので、毎晩寝る前に明日が来ないように祈って眠っている。中学生くらいで芽生えた恥ずかしい自意識を抱えて今も生きている。世の中にはびこるロジカルでクールな人たちのやることなすことに嫉妬して死にたくなって寝床でグズグズしている。地元で地道に金を稼いでいくこともできず、新しいコミュニティにも入ることもできず、ひたすら消えたくなっているだけなのである。日々この自意識をごまかし、食欲、睡眠欲、性欲諸々のもたらす渇望を最低限満たしながら生きているのである。生きたくもない。人生は苦しい。しかもバカだから人に聞いても本を読んでも映画を観ても音楽を聴いても何がこの苦しみをもたらしているのかよくわからない。思考がとっ散らかり過ぎている。こんな思考は就職活動の時に「自己分析」とやらで置いてくればよかったが、それもできなかった。というより、時々今でも消そう消そうとしているが、どうしても拭えない。「じゃあ死ねよ」と自分の頭の中で自分に何回も問いかけたが、結局死なずにいる。それはなぜか?月並みであるが、自分に声をかけてくれる人、友人、家族がまだ世の中に生きているからである。彼らにできるだけ迷惑をかけたくない。僕が死んだ時に彼らは悲しむかどうかはわからないけど、少なくとも僕の死体の処理に金や時間はすごくかかるのではないかと思う。なので、そんな迷惑はかけたくはないのである。だからただ生きているのである。

 

っていう自意識を持っている人はいませんか。少なくとも僕はそうです。他にそんな人がいなければそれはそれでとてもいいことだと思います。あとは自分のために書きます。

 

まだ確信には至っていないけど、僕は口では生きたくない、死にたいと言っているくせに、結局は生きて誰かと繋がって生きていきたいのかもしれない。僕のこの嘘を、だれかにまじめにきいてほしくて、「お前はここにいていいよ」って言ってほしくて、僕は今日も「死にたい」と嘘をつき続けているのかもしれない。そんな嘘をついている自分の自意識を慰撫するために、小説や映画や音楽を摂取し続けているのかもしれない。

いなくていいひとだけど、いつか心の底から死にたくないと言うために。

たまの音楽みたいに、自意識過剰な僕に刺さった文化の諸々について、記録を残して生きたいと思っている。


You-suck

 

ちなみにサブスク解放されていません。

いなくていい人

いなくていい人

 

 

(このライブ音源の超ウルトラかっこいいノイズギターを弾いているのは日本のサイケデリックロックバンド割礼のフロントマン宍戸幸司

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