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平成の1曲って言ったら、mihimaru GT『気分上々↑↑』〜クラブとディスコとカラオケボックス〜

音楽語りトークイベントを行うLL教室からハシノさんをお招きして、カンノとオノウエの3人で喫茶店2時間ノンストップ音楽駄話を文字起こし(全5回)。第1回目はハシノさんの思う平成を象徴する楽曲からクラブとディスコの比較、そしてクラブとカラオケボックスの比較についての話。

 

 

カンノ:ますは平成置き去りソングの話からしましょうか。

ハシノ:当時“J-POP”という言葉がまだ若かったわけじゃん?

カンノ:93年とかですかね?

ハシノ:そう。それで、全部のジャンルがイノベーションしていくわけじゃないですか。「打ち込みに歌を乗せちゃうぜ!」みたいな、それだけで新しい感じがあって。

カンノ:「小室哲哉がコンピューターをいじっているぞ!」とか。

ハシノ:「ドラムが機械だ!」みたいな。それだけで面白くて、最先端っぽかったんだけど、やっぱり30年経つとね。

カンノ:これは以前聞きましたが、ハシノさんが言われた「Hey DJ問題」ってあるじゃないですか(笑)あの話、好きなんですが。

ハシノ:俺の中の平成の1曲って言ったら、mihimaru GT「気分上々↑↑」で、理由は『クラブ』なのよね。あの曲が出たのが2000年半ばで、クラブの存在はもう割と一般化していた。タワレコのポップに“フロア対応”みたいなのが書かれて、それがチャートに入るみたいな。

カンノ:ビカビカのMIX CDのジャケとかいっぱいありましたもんね。

ハシノ:クラブに行くということがちょっとかっこいい遊びだった。「クラブに行ってる俺!」みたいな。

カンノ:でも、DJというものがあまりよく分かってないみたいな。その上で「DJって良いよね!」みたいな。

ハシノ:「気分上々↑↑」にはそれが詰まってると思う。

カンノ:そうですね。ビデオ込みで詰まってますね。

オノウエ:それで言うと、僕はクラブは逆にそんなに一般化されなかったと思うんです。その前の時代のディスコはもうちょっと一般化されてたと思うんですよね。もちろん実際のところは知らないんですが。

ハシノ:今の50歳ぐらいとかが、東京でサラリーマンやってるときの金曜の夜は、とかね。

オノウエ:うちの親父とかそうでしたね。

ハシノ:クラブって音楽が好きな人たちの場所というところからどんどんポップな存在になろうとしていったけど、ディスコほどはいかなかった。

カンノ:なんででしょうね?別のムーブメントがあったのかな?

ハシノ:カラオケかなぁ?それこそディスコの頃はカラオケボックスってないじゃん。

オノウエ:そうですね!

ハシノ:多分、「ディスコ行こうぜ~」と言っていた10年後の同じような人たちは「カラオケ行こうぜ~」になったんじゃない?クラブは最後まで、音楽が好きな人たちが行くところだったんじゃないかな。

カンノ:ずっとある程度、敷居が高いまま。

オノウエ:カラオケボックスっていつからでしたっけ?

ハシノ:通信カラオケが導入されたのが92年。一番最初は夜のお店で、皆がいるところでしか歌えなかったのが、個室になったのが80年代後半。でも俺が最初に行った頃はまだレーザーディスクで、20数曲ぐらいしかなくて「歌う曲全然ねえよ」みたいなのが、通信カラオケが入ったことで何でも歌えるようになって。で、当時の短冊CDにはカップリングでカラオケバージョンが入ってて、それ買って練習したりね。B'zとか(笑)

オノウエ:そういえば当時カラオケバージョン入ってるの当たり前でしたね。

ハシノ:その頃は普通に野球部の高校生がカラオケ行くためだけにCDを毎月何枚も買ってた。1人3000円ぐらいは使ってたんじゃないかな。今はYouTubeあるから0円だもんね。

オノウエ:確かに。なんか、音楽の場が社交の場として機能しなくなった時代の感じを平成に思うんですよね。元々付属物というか。サブ側だったのがメインになって。人と喋るのにバックで流れているものが、歌いに行くためとか聴きに行くためになっていったなと。

カンノ:社交じゃなく、1人ひとりが独立した感じね。

オノウエ:そこで「Hey DJ」とクラブに関連したことを歌いつつ、J-POPという大衆に向けたことをやろうとしたけど、その感覚を大衆に共有することは難しかったのかなって。

カンノ:上手くいかなかったことの象徴としての「Hey DJ」って面白いね。