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サムオブ井戸端話 #020「ヌトミックから考えるグルーヴとわかりやすさ」

SOMEOFTHEMのメンバーであるカンノアキオ、オノウエソウ、YOU-SUCKで音楽にまつわる井戸端話の文字起こしを毎週水曜日にアップします。

 

劇団ヌトミックの公演を観て、あまりよくわからなかったオノウエメンバー。ストーリーや演者の身体性や音楽など、演劇をどの観点で楽しむかで見方が変わってくるという話をしました。

 

オノウエ:先日、ヌトミックという劇団の『ぼんやりブルース』という公演をこまばアゴラ劇場へ観に行きました。

YOU:ヌトミックはどんな劇団なの?

オノウエ:ヌトミックは主宰の額田大志さんという人が東京藝大の作曲科出身で、自分で東京塩麹というバンドもやっています。

オノウエ:結構ミニマルに同じフレーズを繰り返して曲を作っているような人で、それと並行してヌトミックをずっとやってると。昔めちゃくちゃ小さいスペースみたいなところで1回観たことあって、そこでは演者たちが同じ動きを繰り返してるんだけど、その動きがちょっとずつズレていくみたいなことをしてました。ストーリーはなんだかよくわからないんだけど、「ミニマルを身体でやるとどうなるのか?」みたいなことをしている人ですね。そこから公演を行う場所もどんどん大きくなったりして、今回久しぶりに観に行ったんです。で、先に結論から言うとなんだかよくわかりませんでした(笑)

YOU:(笑)

カンノ:でもなんだかよくわからないものは、オノウエ君は結構好きだったりするじゃん。それでも「なんだかよくわからなかったな~」という印象なんだね(笑)

オノウエ:そうだね。自分でもよくわからなかったから、今しゃべりながら整理しようと思うんだけど。昔ヌトミックを観たときは、演者の身体性にフォーカスが当たっていたと思うのね。

YOU:ストーリーや意味とかよりも、演者の身体の動きに焦点が当たっていたと。

オノウエ:それでたとえばチェルフィッチュという劇団と比べようと思うんだけど。

オノウエ:チェルフィッチュのやってることはわかるの。なんでわかるのかというと、劇としてのストーリーが観ててわかるから。それって主宰の岡田利規さんが脚本からスタートしているからだと思うの。で、額田さんは音楽からはじまってる人だと思うんですよ。

カンノ:さっきの『竜とそばかすの姫』の話じゃないけどさ、聴かせたい歌スタートなのか、見せたい画があるスタートなのか、見せたいストーリーがあるスタートなのかで全然変わってくるよね。

オノウエ:そのスタートはどこなのかで変わってくるし、演劇の脚本って意味が付随しないと書けないじゃん、当たり前だけど。でも音楽って意味がなくてもできるんだよ。もっと言うと、音楽って意味がないものなんだよ。

YOU:本来はそうだよね。歌詞がつくと意味ができるけど。

オノウエ:で、『ぼんやりブルース』も場面場面ではすごくいい場面があるの。「かっこいいな~」って思えるような。でも全体をとおしてみると、よくわからないんだよね。それをトータルするもの、総括するようなものがないんだよね。演劇の内容としては、コロナがあって、みんなの生活の足場が不安定になって、ぼんやりしてしまったと。それで1人の演者が出てきて、ふらふら歩いて倒れそうになりながら「みんな、ちゃんと立ってる?」みたいなことを繰り返し言うところからはじまっていくんだけど、そこでやろうとしている意味性がずっとあんまりわからない。なぜなら各シーンで行われることにつながりがないから。だから音楽から発想する人と、本から発想する人ってこういうところに違いが出てくるのかなと思ったの。場面でいうと演者全員、6人くらいかな、1人が「あっ」って言うと、ほかの人も「あっ」「あっ」「あっ」「あっ」「あっ」とその発声がグルグル回っていくみたいな。

カンノ:1人が発声したら他の人も発声して、それがリフレインすると。

オノウエ:そういうリフレインする場面がかなりたくさん出てくるんです。それは観てて面白いんだけど、とはいえコロナという大きい題材があるから、ストーリーを作ろうとしているんだと思うの。で、ストーリーを作ろうとしちゃうと、身体性にフォーカスしたミニマルな動きというものが、逆になくなっちゃう感じがするの。

カンノ:なるほど、意味に身体が引っ張られちゃうのか。

オノウエ:ストーリーとして意味がある動きを演者にさせなきゃいけなくなっちゃうと、身体性にフォーカスするような、動きに特化した動きが逆に減っちゃうんだよね。そうなると声だけでミニマルをやろうとするんだけど、声だけリフレインしても演劇としてグルーヴしないんですよ。見世物としてのグルーヴがない。

YOU:極端な話だけど、踊りってグルーヴがあるじゃん。そういう動きがないってことでしょ。

オノウエ:踊ってくれたほうがむしろグルーヴはあるね。でもそういうものがなかった。やろうとしていることは壮大なんだけど、ちょっと消化不良感があったんだよね。

カンノ:なにかを観ていて、目が楽しいのか、耳が楽しいのか、脳が喜んでるのかっていう観点はあると思っていて。これってどれを優先するかで全然変わってくるよね。

オノウエ:ヌトミックは耳は楽しい。目も場面場面では楽しい。でも脳はあんまり楽しめなかった。

カンノ:そういうことだよね。グルーヴって目なのかな?

オノウエ:グルーヴはヌトミックでいうと、観るものと聴く音が合致したときに起こるんだよね。たとえば劇団ナカゴーなら、やってることはハチャメチャな演劇だけど、大の大人たちが「ウワァ~!!」と叫んですごい顔をしながら走り回ってるのってグルーヴ以外の何者でもないんだよ(笑)

YOU:あれはグルーヴだよね(笑)

オノウエ:演劇を観るときってそういうところに楽しみがあるよなと思ったんだよね。

YOU:グルーヴがないと肩透かしを喰らっちゃうんだ。

オノウエ:グルーヴを求めていることに気がついたね。あとヌトミックの演劇の場面のなかで、演者の人がトラックを流しながらエレキギターを弾いて、インプロ(即興演奏)っぽいことをやりはじめたの。なんか、そういうことが入ると一気にわからなくなるというか(笑)規律で固めたいのか、インプロで固めたいのかわからなくなってきて。そういうことも場面場面であるから、トータルで観るとあんまりわからなかったんだよね。

カンノ:最後までその演劇の意図がわからなかったんだね。

オノウエ:そうそう。

カンノ:そのわからなさが意図だったりする場合もあるし、わからないと思われることが不本意の場合もあるし、そこは難しいよね。

オノウエ:だからヌトミックみたいに、音楽スタートで演劇をはじめた人ってほかにどんなことをやってるのかは気になるよね。あとラストにもう1つ。劇場に入ったら自分の椅子の下に袋があって、そのなかを見ると石が2つ入ってるの。それが全員分置かれてて。それでチラシのなかに「Stones」と書いてあって、英語のテキストが書いてあるA4用紙が1枚入ってたの。これってクリスチャン・ウォルフという実験音楽家の人が「Stones」という曲を作っていて、これは「石と石を擦り合わせてなにか音を出してください」という曲なの。

カンノ:それは楽譜はないの?

オノウエ:それは譜面じゃなくてテキストなの。

カンノ:はぁ~、なるほど。それがさっきの用紙なのか。

オノウエ:そうそう。で、観劇後にワークショップがあって、俺はそれは出なかったんだけど、多分実際にその「Stones」という曲を演奏してみましょうということだったんだと思う。で、「Stones」ってどういうことなのかを拡大解釈すると、「モノとモノが触れたときとか、なにかとなにかが摩擦によって音が出るとか、それって人間生活でも同じだよね」ということなんだと思うの。それが多分、今回のヌトミックでやりたかったことだと思うんだよね。それでコロナで人と人が会わなくなった結果、摩擦が起きないと。そういうことの拡大解釈なのかなと思ったんだよね。

カンノ:お前、ヌトミックを楽しんでるじゃねえか(笑)

オノウエ・YOU:アハハハハッ!

オノウエ:いや、今こうやって喋ったからやっとわかってきた気もするんだけど、もうちょっとわかりやすくやってほしかったな(笑)

YOU:でもそのわかりやすさってなんだろう?やっぱりストーリーなのかな?

カンノ:だからここで超わかりやすい話をするなら、「会えない男女」とかでしょ?

YOU:ヌトミックが「会えない男女」の超ベタな話をすればわかりやすくなる(笑)

カンノ:それだったら観に行かないな~(笑)

オノウエ:「会えない男女」って引き出しの1発目に出てくるやつだよね(笑)

YOU:そんな演劇やられたら最悪だよ(笑)

カンノ:最悪だな~(笑)

YOU:だからそういうことを究極に抽象化したことをやってたんだね。

オノウエ:だから抽象度合いがちょっと俺には高すぎたかもなと思いましたね。

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