SOMEOFTHEMのメンバーであるカンノアキオ、YOU-SUCKで音楽にまつわる井戸端話の文字起こしを毎週アップします。
音楽におけるナンセンスについて考えるサムオブメンバー。後編では2005~6年のZAZEN BOYSを例に、バズに対抗するための手段としてのナンセンスについて考えました。前編は下記リンクから。
YOU:とは言っても全然ノレないZAZEN BOYSのライブアレンジバージョンの曲を聴かせられ続けるのも辛くない?(笑)
カンノ:やっぱり意味がわからないよね(笑)Apple Musicに2005年の日比谷野外音楽堂で行われたZAZEN BOYSのワンマンのライブ音源がアップされてるんですよ。この時期ってZAZEN BOYSのドラマーがアヒトイナザワから松下敦に変わった直後で。そのなかに「YURETA YURETA YURETA」っていう曲があって。もともとは1stアルバムに入ってる曲なんだけど。
カンノ:ドラムがアヒトのときは軽快でノリやすいんだけど、松下敦になるとすごいんだよ。全然揺れてないんだよ(笑)
YOU:フフッ。
カンノ:ずっとビートが「ダッ!ダッ!」ってベタっと置いた感じなの。で、そこに乗る向井のラップも全然跳ねてない。松下敦加入直後の楽曲のアレンジ群は全然跳ねてないんだよね。「USODARAKE」とかがわかりやすいかも。
YOU:アヒトのときの「USODARAKE」はキャッチーだったもんね。
YOU:ZAZEN BOYSってアヒトイナザワもベースのひなっちもメンバーに残り続けたら、結構ハレ感のある楽曲が多かったかもしれないね。でもそうならなかった。
カンノ:「CRAZY DAYS CRAZY FEELING」がZAZEN BOYS史上で一番キャッチーなかたちだと思うんだよ。ライブで原曲の演奏してくれたら「これが聴きたかった~!」ってお客さんも普通にブチ上がるだろうし。でもバンド全体的にはそういう方向に行かなかったということがおもしろい現象だなって思ってる。
YOU:「Friday Night」ってどう思う?あの曲は踊れるじゃん。
カンノ:「Friday Night」ってコード変わらないでしょ。向井が弾いてる鍵盤は一定じゃん。
YOU:あのころの向井の鍵盤は全部変わらないよね。
カンノ:今日たまたま『ZAZEN BOYSⅢ』を聴いてたんだけど、全体的にブラックコーヒーみたいなアルバムだなって思ったんだよ。
カンノ:このアルバムが出たころって僕らは中3の終わりだったんだけど、やっぱり全然わからなかったもん。そして今は超好き(笑)
YOU:バンドを通してのあのノリは知らなかったもんね。
カンノ:ここからどんどん人力ハウスっぽくなってくるもんね。とくにシンセを使った曲は。ZAZEN BOYSが世間一般が想像しているロックバンドとは全然違うものになっていくときだもんね。だから話を戻すと、ナカゴーの鎌田さんが亡くなったときに「音楽におけるナンセンスとは?」を考えて、僕は2005~6年ころのZAZEN BOYSを思ったんだよね。
YOU:たしかに向井のやることは基本的にナンセンスだと思う。
カンノ:たとえばミュージシャンのやるベタな行為として「盛り上がってるか~?」って客に問いかけてコール&レスポンスになったりすることってあるじゃん。でも向井はそれを真正面から基本的にやらないじゃん。
YOU:そうだね。やったとしてもギャグっぽいよね。
カンノ:そうそう。「半透明少女関係」の後半に祭囃子になって「わっしょい!わっしょい!」っていうコール&レスポンスになるのは、そもそものコール&レスポンスへのメタな行為だと思うの。
カンノ:あれってもう向井しかやっちゃダメじゃん。あとは、自分の政治的心情を語ってリベラルっぽい曲をやるということもしないじゃん。そういうロマンもやらないじゃん。
YOU:やらないね。
カンノ:SNSでウケる、再生回数を稼ぐ、いいねがつく、みたいなことばかりになると音楽はどんどんサービス業化していくし、わかりやすいものが好まれていくし、そのなかで「音楽におけるナンセンスとは?」とかを考える人なんていなくなって当然で、その一抹の寂しさを思ったの。だからMELODY KOGAさんのライブを見て、数字を取りに来ることとはまったく無縁の音楽が聞けるってことは喜びとして思ったんだよね。
YOU:昨日、佐々木敦がツイートで「日本のカルチャーが全部バズになってしまって、それに対抗するには数字が積み上がらなくてもそこに居続けるしかない」という旨のことを言っていて。
ニッポンでは、マジでありとあらゆることが「一時的で一過性のブーム」として消費されてしまう。
— 佐々木敦 (@sasakiatsushi) 2023年8月17日
何もかもが流行現象になり、そして必ず飽きられる。
だから唯一の延命戦略は、けっしてバズらず、でもずっとそこに居続けることだと思う。
カンノ:その感覚はすごいわかる。
YOU:でも前回話した「推し」の話にもつながるんだけど、誰かが推さないと生活できないんだよね。
カンノ:もちろん、金が発生しないとね。
YOU:だから全部程度の問題と言われたらそれまでなんだけど、まったくバズらず数字も稼げないけど、それをやり続けるってものすごい精神力がないとできないことだから。
カンノ:その人がその人なりの「業」を持ってるかどうかだと思うんだよ。で、実践する人はそれを信じ続けるしかない。
YOU:でも一方で「1回はバズってそれで生活できるようにならなきゃしょうがないじゃん」っていう価値観もあるじゃん。っていうかこっちのほうが支持されやすいし、こういう場面はいくらでもあるじゃん。コンビニに行って商品買って目の前の店員さんにそれが時給としてお金が入ってくることと、推しやアーティストのなにかを買うことって広い意味で一緒じゃん。でもお金をあげることは大事だけど、それだけが大事じゃないことはたしかでさ。
カンノ:でも、どんどん「お金」になってきちゃったよね。「世の中、こんなに下衆かったっけ?」と思うことばかりじゃん。デリバリー業やってて現金払いでお金を受け取ったときに思うよ。「こんなものがあるから!こんなものがあるから!」って思うよ(笑)
YOU:アハハハハッ!
カンノ:そろそろ話をまとめようと思うけど、さっきから言ってるとおり、ハレとか祝祭感をやるミュージシャンってすごく多いし、そのアプローチもどんどん二番煎じ、三番煎じになってると思うの。TikTokでウケる曲、SNSでバズる曲を目指すために歌詞にどれだけ”映え”の要素を入れて、まくしたてるメロディで、音の情報量はスカスカにしておいて、みたいな。バズにはレギュレーションがあるから、その道理を全うすると二番煎じになっちゃうし。現に新着プレイリストを聴くと「〇〇っぽい」だらけだから。
YOU:いやぁ、しんどいね。
カンノ:そんななかで「音楽におけるナンセンスとは?」を考えることが僕らのバズに対抗する手段の一つなのかもしれないなと思いました。